「貴方の恋人に素敵な魔法を」
そう書かれている大々的な宣伝ポスターが飾られているショウウィンドウ
の前にシンジは立ち止まり、にこやかに笑っているモデルの表情と手に
持っている赤いルージュを交互に見ていた。

吐く息は白く、寒さを感じさせるからであろうか?それともまだ気恥ずかし
さを感じるのであろうか?シンジの頬は少し赤く染まっている。何人かが
そんな行動に目を留めるが感心が無いようにまた歩き出す。

そんなシンジも暫く眺めていたショウウィンドウから目を外しマフラーを掛
けなおすと雑踏の中に歩き出す。

本来の首都として機能し始めた第三新東京市の往来の中で。

照りつける太陽が居たあの時は過ぎ去った、寒さを感じる季節の中で。

シンジは一人歩き出した。


腕時計で時間を確かめ、待ち合わせには充分間に合うと思ったシンジは、
歩く速度を落とし空を見上げた。

銀色の雲に覆われた空。

照り付けた太陽が顔を出していたあの頃とは違う空。

これが日本本来の四季の一風景である・・・・ミサトや冬月がそう話していた
がいまいちイメージが湧かなかった。

この空を見るたびに懐かしがって自分の青春時代を話すネルフの面々の事
を思い出しながら今にも落ちていきそうな空を見つめる。

「雪でも降るかな?」
そう苦笑しながらずっと空を見上げる。今にも押しつぶされそうな空に人々は
下を向いて歩いている往来の中でシンジはずっと見上げていた。

最初は、まだ雪を見た事の無いシンジにとって、この身を震わせる寒さはどこ
となく何かを期待させた。

落ちてくるような雲。

そして頬に刺さる風。

凛とした寒さの中に、どこか静かな雰囲気を醸し出す朝。

そして、白き結晶が舞い降りる光景。

最後の時を傷つき帰ってきた自分。その自分が暫く病院から動けない時に見つ
めていた窓の光景は、四季の彩りとその感動を伝えていた。だからこそ、冬と言
う季節にしか見る事が出来ない雪景色を空を見上げて銀色の雲に覆われる度
に心待ちにしていた時があった。

しかし何時からだろうか?

この空を見上げると寂しさで胸がいっぱいになるのは?

この空に覆われると顔が暗くなっていくのは?


ふと足を止める。
 

判っていた。
この空は、いつもあの時の色だから。

 

知っていた。
この空はいつも自分から誰かが遠ざかる時の色だから。



銀色の空の下で

WrittenByあつみ




 

忌まわしい時が過ぎ、すべてが清算される頃、戻ってきた者達には「明日をどう
するか?」という選択肢が残された。彼らを縛りつけていたネルフも解体され、
いきなりこれからをどの要にするかと問われたが、皆ここで起こった悪夢から遠
ざかるようにこの地を離れていった。

シンジはサードインパクト後に病院に収容されたため、伯父夫婦の下に帰る事
が出来ずに入院生活を送っていた。極度の精神疲労と肉体の負荷は思いのほ
か回復に時間を要し、そしてその時間は過ぎ去っていく者達との別れの時間に
使われていった。

少しずつ回復する中で、病院に挨拶に来るものもあれば手紙だけ置いていく者
もいた。暫くして体が回復してくるとシンジは自ら別れの場に足を運んだ、駅へ
空港へ、車の窓からにこやかに手を振るその場所へ。

涙ながらに自分の人生を模索するために離れていったミサト。
全てに疲れ、その体と心をもう休めたいと話して別れた冬月。
過去しかないこの地から未来を見つけるために離れるマヤ、そして青葉と日向。

誰もが、それぞれの道を選び出し、シンジの前を通りすぎていく。

寂しい別れ。

苦しい別れ。

悲しい別れ。


この空を見るたびに過ぎ去った人が思い出された。
自分の体の自由が利けば利くほど寂しさに包まれていく。
見送りに行く度に、空はいつもこの顔をして別れの場を演出していた。


しかしそれも今日で終わる。最後の別れが待っているエアポートへ向かえば。
其処には最後まで関わりがあった一人の少女が居るはずである。
 

自分と同じほど傷ついた少女が。

最後まで傷つけあったアスカが。

今日ドイツに帰る。

 

「今日もまたこの空か・・・」
その言葉を呟いてシンジはエアポート行きのリニアに乗るために駅へ向かった。

 

 

アスカがドイツへの送還を受けたのは、つい最近の事だった。
それまではシンジと同様、病院のベッドでの生活を送っていた。シンジが目覚めて
からも彼女の昏睡状態は続いたが、何とか目覚めた時に戦場に狩り出した大人
達は安堵の息を漏らした。

始めは何事かと騒ぎ立てた。見舞いに来た少年とまだろくに動けないであろう少女
は病室を荒らし、互いの怒鳴り声が聞こえてくるのをかまわずに互いを罵りあって
いた。始めのうちこそ、この少年と少女を近づけまいとしていた病院の面々も来な
ければ来ないで大暴れする少女と、その会話を聞き怒りだす少年を止める事は出
来ずにいた。

こうしてある時間は病院の中では似つかわしくない罵声と怒声が病棟の一室から聞
こえて来る事を、病院の者達は大事が起きるまであえて黙殺した。

そう過ごすうち、国連の監視員から聞かされた言葉は「惣流・アスカ・ラングレー
送還」の話であった。


いつも繰り返す喧嘩のを思い出しシンジはため息を吐く。

なぜ僕らだけこうならねば成らなかったのだろうか?

皆との別れでは、確かに憤りを感じた事もあるし、理不尽な行為に涙ぐんだときもあ
る。だが、最後の最後には涙を堪えるほど互いの気持ちをわかり合えたと感じていた。

しかしアスカとはいつまでたっても終わらない平行線の会話だけが続き、まだお互い
を傷つけ合っていた。

「何でかな?」

自分たちは出会わなかったほうがよかったのではないか?
そう思うといつもこの言葉が吐き出てきた。

忌まわしいあの時が終わった後でも、こうして傷つけあう事を続ける事でしか、二人は
互いを意識する事ができなくなっていたのだろうか?と。

そんな思いを巡らせているうちにシンジの足取りもこの空のように重くなっていく。

『じゃあ何で行くんだろう?』
『僕は何でアスカを見送りに行くんだろう?』
『「あれだけ嫌いなのに・・・』
『「あれだけ喧嘩ばかりしているのに・・・』
『楽しい事なんて一時しかなかった』
『辛い事が楽しい事をかき消してしまうぐらいに少ししかなかったのに・・・』

互いに意識していた、多分今だからシンジも分かっている。
お互いを罵るたびに、自分を覆い隠していた仮面がはがれていった。

自分を見て欲しかったと訴えるアスカの瞳が涙をたたえていた事。
自分が縋って欲しいと怒鳴った時のアスカの表情。

その一つ一つが皮肉にも自分達を近づけるものだと知ったのはつい最近の事だ。
辛い中でしか、悲しい事だけでしか自分達のむき出しの想いを伝える事ができな
かった二人・・・・。

結局そのわだかまりが取れないまま、アスカは今日帰ってしまう。
でも止める事はできなかった。そこで相手を受け入れれば自分が無くなってしまい
相手が消えてしまうような気がした。

何度でも、必要以上に傷つけあった自分が皮肉にも最後まで残ってしまった事に
何となく失笑が漏れる。しかし、それは今日までの事だ、明日からはもうそんな事
は出来ないのだ。

そう、交わる事を知らなかった想いのまま今日で終わる。

「そう・・・もう最後なんだ」

リニアが空港に到着した事をアナウンスが告げ扉が開く。
シンジの呟きがホームに降り立つ彼の足を震わせていた。



 

 

空港の喧燥の中で、其の少女は一人佇んでいた。
国連の監視員が搭乗の手続きに行ったまま帰ってきていない事に苛立ちを感じな
がら気になりだした髪をいじっていた。見送りは誰もいない、誰にも帰る事は告げて
いなかった。

少しばかり寂しさを覚えたが、結局自分はこの国で何かをを失ったまま帰るのだと
言い聞かせていた。

「嫌な雲・・・」
アスカは空港の窓ガラスから見える銀色の雲を見つめながら呟いた。

何度もこの雲を見た。
何度もこの雲を見ながら考えていた。

この地を去る者達の声を思い出していた。


いったい自分は何故此処に来たのだろう?
判っている、自分は適格者なのだから、しかし適格者ではなく一人の少女として
考えたとき、そして今この地を離れる時ふとそんな事を考えていた。

結局自分が求めていたものを失い、そして目指すものも失った、追い求めていた
大人は自分をより容易く夢を追い求め、そして自分を鼓舞していた大人達はみな
それぞれの道を選んでこの地を捨てていった。

そして最後に残った自分には一人の少年との確執が残りそしてそのまま帰る。
正直、自分と同じいやそれ以上に辛かったかも知れない少年と向き合う事に
辛いと感じていたのかも知れない、だから送還の話も二つ返事で話したのだろ
う。

互いを罵って得られた想いに自分が耐えられなくなった事に気づいたのはつい
最近の事だ。

自分の想いをぶつけるだけだったらこんなに辛くはなかった。
加持にその思いをぶつけていた事をふと思いだした。

自分の言いたい事だけ言えればそれでよかった。
自分を包んでくれるか、はぐらかせたほうがどれほどよかっただろうか?

殴った拳の痛さがそのまま伝わってくる感覚・・・。
それはなまじ体の痛みが無い分
 

「アタシらしくないな・・・」

雲に向かってつぶやいてみる、そうしなければ孤独に耐えれそうに無かった。
最後になってしまった自分の旅立ち、自分がこの地を去った後、いがみ合って
いた少年は本当の意味で最後になる。

自分を憎んだまま、自分を理解しないまま、また彼もこの地を去っていってどこ
かで暮らしていくのだろう。

 

本当に最後になってしまった少年を残して自分は帰ってしまう。
何と無く悔しかったが、この出来事に勝ち負けなど存在しなかった。
それは自分たちが一番知っている事だと薄々感じていたのかも知れない。

そう思いながら、昨日切った髪の毛をもて遊びながら、アスカはこの地を離れる
時間を過ごしていた。

 

 

 

「23番口より搭乗してくださいとのことです」
戻ってきた国連の監視員が、パスポートを手渡しながら無愛想にアスカに声を掛けた。
その言葉を聞き流しながらも「23番ってーと反対側の端っこじゃない・・・何してんのよ」
アスカは、そう呟きながらあきれた顔で大きな荷物を抱えて歩き出した。

 

出会いがあるのなら。

 

別れがやってくる。

 

それぞれの道を歩んでいく事も、まだ二人には必要な事であった。

 

「アイツに嘘教えたかな・・・・」
いがみ合っていたとはいえ、最後まで残った少年にはこの場所をさりげなく教えたつもり
だった。

何も見送りに来いという事ではない。

あの時間を過ごした者達にとって最後まで居た事に何かを求めていたのかも知れない。
それが罵り合いでも、どんな事でもよかった。

ただこのままだと確実にもう二度と会う事はないだろう。
会わなくても生きていける、そのうち思い出にも出来る、そして忘れる事ができるだろう。
そんな事が脳裏に駆け巡ったがすぐに頭をふると大きすぎるバッグを抱えると、シンジに
教えた搭乗口とは反対に向かって歩き出した。




「おかしいな間違えたかな?」
だんだんと足取りが重たくなる事を感じながら搭乗口についたシンジは、そうつぶやきながら
あたりを見回していた。

あの赤茶けた特徴のある髪を間違えるはずはないと思いつつ、このまま見つからなけれ
ばという気持ちが目を泳がせる。

何と無く日々の喧嘩の中で紡がれた言葉を、自分はどう受け取ったのだろうか?
彼女の懇願・・とも取れるし、最後のケリをつける言葉でもあったかも知れない。
しかし、それだけではない想いがシンジを此処に連れてきたはずであった。


このまま出会わなくとも。

明日はやってくる。

このまま別れを告げなくとも。

明日を生きる自分は変らない。

明日を生きるのは、一人だから。

生きると言う事は、それだけ寂しい事なのだ。


「仕方ないな・・・」
あたりを見回した後シンジは言い訳をするようにため息をつくと、そのままリニアの駅に向か
った。


別れを告げないまま。

交差したまま。


「最後まで、僕等はすれ違いだったね」
その言葉を残して。






しかし、最後まで居た者達の・・・。

その関係は。

思わぬところで悪戯に繰り返される。



「雪?」
やっと搭乗口に着いた少女は窓から見える白い光景を見つめていた。

「これが雪?」
駅に向かう途中で少年は窓から見える光景に空を見つめた。


アナウンスが響く。

「14時50分新東京国際空港発、ベルリン行きにご搭乗のお客様にご連絡いたします」
確か、彼女はこの飛行機でこの地を離れていくのだと少年は覚えていた。

「ルフトハンザ253便は天候が雪に変ったため現在滑走路を点検中で御座います」
この地を離れることに何の躊躇も無かった少女は、なぜか肩を撫で下ろした。

「出発時刻については定刻を予定しておりますので、搭乗口28番ゲートにてそのまま
お待ちください」

少年は気付いた、彼女が居る場所を。

少女は思った、彼が気付いただろうかと。






雪が降る。

段々と強く。

だが、静かに。


「まったく・・・どーして最後までこうケチがつくのかしら」
アスカは搭乗口の近くの椅子に座りながら、何かを待つようにぼやいていた。
既に搭乗口に入って待つことが出来るが、待っていた。

「そうだね・・・」
アスカの後ろから残念そうにシンジは話し掛けた。
あのまま帰っても良かった、まだリニアは動いているのだから。


「え・・・・」
アスカが振り向いた先には、それを待ち望んでいたのか、それとも判っていて諦めて
いたのかシンジが、笑うことなく佇んでいた。







雪が降る。

飛び立とうとする翼は今は点検中。

最後の。

最後の二人が。

静かに降り注ぐ、雪の光景と。

白さにぼやけた非常灯を見つめていた。

「最後だね」
アスカの視線を見ないまま、シンジが雪に話し掛ける。

「アンタも来週なんだってね」
いつもの喧騒はなく、アスカも雪に話し掛けた。

最後だから、何と無く寂しい気持ちがそうさせたのか?

もう、会うことが無いのにこの気持ちは何だろう?

アレだけ憎悪していた気持ちが。

別れと。

そして静かな雪の景色が。

喉まで出かかっている憎しみの言葉をかき消していた。












雪はまだ降り続けていたが、飛行機は定刻をかなり遅れて飛び立っていった。
赤毛の少女を乗せて、この地の思い出と共に飛び立っていった。

結局、あの後、随分と話す事が出来た。
思えば、あんなに互いに淡々と話したのは、始めてだったのではないだろうか?
ポツリポツリと語るその言葉の一つ一つが、始めて互いの心に染み込んでいく
感覚だった。

悲しさも、寂しさも叫んでしまえば届かない。
悔しさも、やるせなさもぶつけてしまえば跳ね返ってくるだけだった。

だから。
最後だからなぜか互いに淡々とした会話を交わした。
嫌悪を語る言葉を出す事をしなかった。

そうなると、自分が冷静になって少し相手が見えてきたような気がする。
アスカの寂しそうな言葉を始めてしっかりと聞く事が出来た。

頷けた言葉があった。
否定する言葉が出た。

謝りたい言葉があった。
謝って欲しい言葉があった。

そうしているうちに別れの時間がやってきた。

まだ、話したかった。
まだ、言いたかった。

だから、別れる時に交わした言葉は、しっかりと覚えていた。





雪がちらついている。
生まれてはじめての雪景色は、この自分も去る地を真っ白に染めていた。

少し近づいたらきっと違って見えた世界。
二人で見たことが少し嬉しくなった景色。

通ってきた時に見かけたポスターが目に付き立ち止まる。
笑ったそのモデルを見ながら「アスカの笑顔はどんな感じだったろう」と
思い返して見る。

あの時から見なくなった笑顔に。
いつか又出会えるだろうか?

また・・・・。

会える機会を手に入れたのだから。

最後の言葉で、手に入れたのだから。

信じたい、そう思う。


「まだ話すことがあるけど・・・」
何気なくアスカの口から漏れた言葉にもしかしたら自分たちが何か変ったのかも知れな
いと感じる。

「今度はアンタから・・・何いってるんだろアタシ」
言い出して止めた言葉。
何と無くわかっている。

そう、僕等が出会った時は、海を越えてアスカがやってきた。
もしやり直すのなら今度は・・・・。





雪景色が、悲しい街を覆い隠していく。
始めてみた雪景色が、あの辛い時を覆い隠すように。
そして、自分とアスカの関係も覆い隠すように。

覆い隠された世界から生まれる新しい世界は・・・。
どんな世界なのだろうか?


「まずは、始めの一歩かな?」
そう言ってシンジはモデルのポスターをもう一度見つめる。
アスカとは違うその表情に、アスカを重ねて見ていた。


今度、会えることがあったら、こんな笑顔を見たいな・・・。
ポスターのモデルに笑顔を向けそう呟く。

そしてシンジは歩き出す。

本来の首都として機能し始めた第三新東京市の往来の中を。

照りつける太陽が居たあの時は過ぎ去った、寒さを感じる季節の中を。

シンジは一人歩き出した。

一人の少女と再会を誓って。



銀色の空の下で-End-