脆弱
泣き崩れた。
ただ、無性に涙が出てきた。
周りの目など気にならないくらい、泣いていた。
いや、もう周りの目など、無かった。
僕が作った世界。
僕の独りよがりが作った世界。
みんなと居たかった、ただそれだけなのに…
僕が見ている世界は、何もない世界。
他人の恐怖が無い世界と言えば、良い世界と思うかもしれない。
けどそれは他人が居ない世界と言うことになる。
他人…僕が一番怖い存在。
そして一番欲しい存在。
今、僕の傍らには最愛の他人−アスカ−が居る。
心を失ったアスカ。
左目を失ったアスカ。
右腕を失ったアスカ。
一番愛おしい…。
アスカは、僕の頬に手をやり、最後の言葉を聞いてから全く動かない。
呼吸、心拍はある。
生きては…いる。
僕はずっと海を見ていた。
人間の生命で溢れる海。
僕が作り上げたL.C.Lの海…。
何が切っ掛けになったのか、もう覚えてはいない。
しかし、傍らにいるアスカに気をかけ始めたのは確かなことだった。
時折包帯を取り替る。
そう、僕が再びあの感じを覚えたのもこの時だった。
アスカの包帯を取り替えようとしたとき、プラグスーツが邪魔になった。
『取り替えなきゃ』と言う思いが強かったのか、僕は戸惑い無くプラグスーツを脱がせた。
当然、僕の目にはあの時の病室の光景が蘇った。
”最低”だと思う行為。
そう、僕は…再びアスカに欲情した。
あれからずっと、僕はアスカの包帯を取り替える度、
プラグスーツを脱がせ、欲情している。
そして再びプラグスーツを着せ、僕はまたL.C.L.の海を見る。
そんなことがずっと続いていた。
何故だろうか、僕らは一向に衰弱することはなかった。
未だに僕の夢の中なのか、それとも別の因果があるのか。
現在の僕の思考では到底結論に至るわけがなかった。
ただ、このことは都合が良かった。
まずアスカのプラグスーツを全て脱がせる。
アスカの包帯を取る。
L.C.L.の海で血糊を洗い流す。
包帯を巻く。
アスカの姿を見て、欲情する。
そしてプラグスーツを着せる。
ずっと、虚ろな瞳だった。
僕にとっては都合がいい、人形の瞳。
だが、僕は決して忘れたわけではない。
アスカの生き生きとした、人間としての瞳を。
取り戻したかった。
あの生活、僕とアスカ、ミサトさんが居る家族としての生活。
トウジやケンスケが居る学校の生活。
よく雑談してくれた日向さんや青葉さんとのNERVでの生活。
あまり会話はなかったけど、綾波との生活。
もうそれらが取り戻せないと、僕は分かっている。
結局はアスカだけを望んでしまったのだから。
僕は必死に心の崩壊を押さえていた。
押さえなければ、僕の心は壊れてしまうだろうから。
そして、それはアスカに対する僕のどす黒い欲望をも露呈させるだろう。
今までは理性という言葉で押さえてきた。
いや、理性という言葉で欲情を抱くだけに終わっていた。
何か食べようと思った。
別段腹が減っているわけではなかった。
でも、食べるという行為がしたかった。
それを思ったのは…何度かはすでに忘れてしまった、アスカへの欲情の後だった。
廃墟と化した第三新東京市らしき町。
街並みは崩れ、当然人は誰一人としていない。
僕はその様な所を彷徨っていた。
当然、食料品などありはしなかった。
この世の有機物と呼べるものはすべて僕が壊してしまったから。
残るものは無機質のみ。
焦燥に明け暮れたとき、僕はふと何かを目にした。
服。
もう何日も制服で過ごしてきた。
アスカもプラグスーツでずっと過ごしてきた。
そのせいか、ショウウィンドウに飾られ、朽ち果てているマネキンに僕は目を離せなかった。
人間らしきものだが、人間ではない無機質の物体。
久しぶりに見たそのマネキンは、僕の心を捉えた。
もちろん、そのマネキンが着ている服にも、僕は目を見張った。
いつの間にか僕の手には男性用軽装服一着と、女性用のワンピースが握られていた。
先ほど見たマネキンから拝借した物。
アスカにでも着せてみようと思ったのか、僕はそれを手にしていた。
無論、そんなことをしても意味がないのは分かっている。
でも、別の姿をしたアスカを見てみたいという気持ちは本当だ。
願わくば、あの生き生きとしたアスカの姿をもう一度見たいと感じたのも本当だ。
叶わない願いであっても、願わないよりはましだと感じたから。
何も起きるわけがないと分かっていた筈だ。
僕は何を願ったのだろうか。
僕は何を見たかったのだろうか。
僕の願いは…一生叶わないのだろうか。
アスカのプラグスーツを脱がせ、全裸にする。
僕はついでとばかりに、包帯も取り替えた。
包帯だけを身にまとったアスカの姿を見て、僕は再び欲情を掻き立てられたのは嘘ではない。
理性という鎖で僕の心を雁字搦めにし、僕は何とか平静を保った。
拾ってきた下着を着せる。
汚れていたり、使用されているような代物ではない。
売られていただろう物を拝借してきた。
そしてメインのワンピースを着せる。
背中に手を回したり、色々な所を触ってはいたが、
彼女に動く気配は見られなかった。
すべて僕の為すがままに。
気づかないうちに、僕は泣いていた。
涙が眠れる少女を起こすという物語やラブストーリーは聞いたことがあったが、
アスカに限ってはそうならなかった。
所詮物語は物語。
現実はそうはいかなかった。
それでも僕は泣くのをやめなかった。
アスカに着せたワンピースが僕の涙で汚れようとも。
僕はL.C.L.の海を見続けた。
傍らにアスカを寝かせたまま。
何時からだろう…
アスカと並んで…海を見始めたのは。
僕には分からなかった。
アスカがいつ、動いたのか。
口は開かずとも…
アスカが自身の力で動いたことに代わりはなかった。
後になって思った。
これが…嬉しい、という感情なのだと。
「当然、全部知っていたわ」
欲情に対する答え。
「えぇ、それについては感謝してる」
包帯を取り替えたことへの感謝。
「仕方のないことだと分かっていたのよ」
プラグスーツを脱がしたことへの理解。
「アンタにしちゃ良いセンスだと思ったわ」
拾ってきたワンピースに対する評価。
「現実としてサード・インパクトが起こったのなら、まずはそれを理解するところから始めなくちゃ」
僕がサード・インパクトを起こしたことへの理解。
「生きているのがアタシ達だけなら…それを受け止めるしかないじゃない」
僕ら以外誰も生きていないことへの享受。
「ならまず生きましょう」
奇しくもそれは僕らの姉の言葉を彷彿とさせた。
「しっかり生きて…罪を償うのなら、いつでもできるわ」
僕らが置かれた立場への認識。
「アンタ一人、またはアタシ一人ならどうにもならないかもしれない」
一人ではない。
「アタシ達…二人なんだから…生きていけるわよ。どこでも…」
すべてを現実と受け止め、それを理解し、未来を見ることを薦める。
「さ、生きましょ」
アスカは僕の右手をとる。
傷ついていない、左手で。
あの欲情は、すでに感じなかった。
あるのは何か分からない、暖かみとでもいうべき物。
それを受けるのは心地よかった。
「生きましょ」
僕の手を引くアスカ。
面影だけは以前の、生き生きとした、僕の願ったアスカそのもの。
もう、他に何もいらない…。
彼女さえ僕の手を取っていてくれたなら…。
後書き
元ネタとしては、2001年のエヴァカレンダー、9,10月の絵です。
最後のシーンはあれをイメージして書いてみた、というところです。
他、何かありましたらメールにて。
Y-MICKでした。