絶望という名の砂を胃の中に一杯詰め込まれもがき苦しむ少年。
拒絶という名の刃が何もかも奪い去っていく。

わかったはずなのに

理解したはずなのに

でも、現実は少年の心をずたずたに切り裂いた。



「疵   −罪と罰−」 afterday.2



アスカがシンジの元を去った。
残されたシンジは身動き一つせずにただ座り込んでいるだけ。
紅い水が寄せては引いていく。

「ねぇ・・・・どうしてこんなに辛いの?」

呟くだけ。

「ねぇ・・・・どうしてこんなに残酷なの?」

返ってこない答え。

「ねぇ・・・御願い・・・・答えてよ・・・・・」

寄せては引いていく紅い水面は答えてはくれない。

『どうして答えが貴方の外にあると思うの?』

かすかに聞こえる懐かしい声。
シンジはびくんと身体をふるわせ頭を上げる。
しかし紅い水と広がる砂浜以外なにも無い。
そびえ立つ巨人の残骸、半分に崩れた大地母神。

「ちくしょ・・・・・う・・・・どうして・・・・こうなるんだ・・・・ちくしょお」

涙混じりの声で後悔と恨みの言葉を吐く。
大地母神と少女の姿が重なる。

『碇君・・・・・』

悲しそうな顔でシンジを見つめる。
しかしその表情がシンジを更に追いつめていく。

「結局僕は・・・・僕は・・・・何もできない・・・子供なんだ」

少女の幻は何も答えない。

「どうして・・・・?綾波も僕を見捨てるの?ねぇ・・答えてよ!」

紅の瞳は静かに閉じられ一筋の涙が流れる。
苦しげな、悲しげな表情がシンジに向けられるだけ。

『君は誰かに何かを求めるのに交換条件を出すのかい?』

少女の幻の横に少年の幻が現れる。

「カヲル君!!!」

突然現れた幻にシンジは喜びと驚きの表情で見つめる。
この手で殺した存在。そして初めて心を開いた存在。
しかしそのことがシンジの心を苛む。

「どうして・・・・・カヲル君」

苦く悲しい過去。この手でその生を奪ってしまった。
それがシンジの心に苦しみを与える。

『シンジ、エヴァに乗れ!そうすればおまえは此処にいられる』

冷たい視線をシンジに向ける男の幻。

『君はどうして過ちを繰り返すんだい?』
『碇君・・・・・・』

「違う!!僕は父さんとは違うんだ!!」

『違わないわよ』

「あ・・・・アスカ・・・・・・」

去ったはずのアスカの幻が冷たく見下ろす。

『あんた、何にもわかってない。私のことも自分のことも』

「教えてよ、アスカ教えてよ!」

まるで懇願するように幻にすがる。
しかしアスカは冷たい目で見返すだけ。

『どうして貴方は自分の外に答えを求めるの?』

背中から聞こえる白い少女の声。
寂しそうに悲しそうに呟く声がシンジに届く。

「だってわからないんだ!わからないんだ・・・」

『わからないんじゃない、わかろうとしないだけよ』

「違う!違う!!!」

責められ、苦しむシンジ、しかし幻は容赦しない。
それはシンジが望んだことだから、もがき苦しんでも変わりたいと心の奥底で願っているから。
だけどそれが叶うという保証はどこにもない。
弱い心が壊れるだけかも知れないのだから。
取り囲まれるように幻がシンジの回りに現れては消え、消えては現れる。

『なぜ、現実を見ようとしないの?』
『あんたは結局誰も救えない』
『シンジ、目標を殲滅しろ』
『シンジ君、殺してくれ』

「嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


心が大きな悲鳴と共に砕け散る。
シンジはそのまま砂浜に倒れてしまった。



『まだ、だめなの・・・・・・・』
『僕たちにできることは少ない。シンジ君がどんな道を選ぼうとも僕たちには干渉できない』
『・・・・・・』
『わかってるよ、レイ。でも僕たちは彼の希望であり続けなければならない』
『でも・・・』
『このままじゃ彼がつぶれてしまう?しかしシンジ君が選んだ道だ。例えどんな結末になろうとも僕たちは見守っていかなければならない』
『それが碇君の望み・・・・・だから』
『そうだよ、レイ』

悲痛な表情で少年に身を寄せる少女。
優しく抱きしめながら少年は険しい表情で倒れているシンジを見る。
砂浜で倒れてしまったシンジは再び目覚めることができるのだろうか?

『願わくば彼の人生に幸あらんことを』

幻は言葉だけを残し消えてしまった。














アスカは望んだ結果の中にいた。
揺らめく紅い湖に身体を浮かべ目を閉じた。
半裸に近いアスカの上半身には今も消えない疵がある。
傷の痛みがアスカを現実に引き留める。
それでもアスカは全てを拒絶する道を選んだ。

「もう、いい・・・・・もう終わりにしたい・・・。生きていたって意味がない。
 生きている理由すらもない。だったらこのまま・・・・・・」

呟く声は四散する。そしてアスカはそれに満足するように闇に心を閉ざそうとした。

『そうやって逃げるのね?現実から・・・・・碇君から・・・・・すべてから』

紅玉の瞳、青空の髪、白く儚い少女、ファーストチルドレン−綾波レイ。
もっとも忌み嫌う存在、人形のように命令を忠実に遂行する。
憎かった、どうして人形に徹することができるのか?
どうして感情を表にすることがないのか?
人形に母を取られた。すべてを奪われた。
だから・・・・・・・・・・。


その声がアスカの耳に届いたときアスカの心に怒りがわき出す。
急速に現実に引き戻される感覚がアスカを襲う。
紅い湖に浮かんでいた身体が小刻みに震える。

「おまえが・・・・・・おまえが言うなぁぁぁぁぁ」

力無く浮いていた身体を起こし瞳には悲しみが憎しみが燃えさかる。
幻の少女はそんなアスカを見下ろすように見る。
それがアスカの神経を逆なでする。

『どうして受け止めないの?現実を』

「現実?現実は私から全てを奪った。ママもエヴァも存在意義も!」

声にこもる怒りが幻を揺らめかせる。
虚像が風に揺らめくように一瞬不確かな形を取る。

『どうしてあなたは現実を見据えないの?』
『そう、弐号機の魂はいつも君だけを見ていたのに』

幻の少女の横に新たなる声が聞こえる。
そしてその声が少年を形作っていく。

「・・・・・・」」

アスカはただ睨むだけで口を固く閉ざしてしまった。
言っても何も変わらない、そしてアスカの望んでいた希望はうち砕かれたのだから。
もう、開け放たれた心の箱には何も残っていない。

『君は勘違いしているよ』
『そう、貴女は自ら道を閉ざしている』

風に流れるように幻の詠唱が始まる。

『未来は自らが切り開かねばならないもの』
『それは悲しみと痛みを伴って歩かなければならない』
『だから信じる心を持たなければならない』
『人は一人では生きていけない』
『だからこそ共に歩む存在を求める』
『どんなに傷つけ合っても、どんなに憎んでも』
『心の底ではそんな存在を求めている』
『心休まる存在』
『心落ち着く存在』
『未来を伴って歩ける存在』
『たとえ認めたくないと思っても』
『心の声に耳を傾けるべき』
『心のままに道を進むべき』


幻はただ、蒼い瞳を見つめている。
そこには憎しみも悲しみもなくただ見つめているだけ。
まるでそこにあるのは人形だというように。

『そうよ』

少女の幻が肯定する。

『あなたの思った通り』

「ど・・・・・うして」

アスカは少し驚いたように言う。

『私は・・・・私たちはもう消えてしまった存在だから。
 でもこうして再び虚像としてあなたに見えるのは・・・・』
『それはシンジ君の希望だからね』

「シンジ・・・・・・の?」

『そう、碇君はもがき苦しみながらも生きていこうとしている』
『シンジ君は・・・・・・・未来を求めて』
『貴女を心配して』

「シンジが?」

明らかに蒼い瞳には動揺の色が走る。

『そう、だからこそ貴女は応えなければならない』

「だけど」

『君はもう全てを捨ててしまったのだから』
『ならば、清算した過去を見つめる必要はないはず』

「嫌・・・・・」

アスカはどんどんと苦渋に満ちた表情に変わっていく。
膝を折って身体を紅い水に沈める。
もう頭を項垂れる事しかできなかった。

「そんなに・・・・・・過去を簡単に精算できるわけが・・・・」

よぎる不安、いつまでもまとわりつく過去と言う名の現実。
人の心は常に脆く簡単に壊れてしまう。
アスカの心は今少し触れるだけで壊れてしまうほど脆くなっていた。
突然ガタガタと身体が震えだし「見たくない事実」が走馬燈のごとく頭のなかを駆け抜ける。
アスカの意識はそれだけに向けられ他のことには全く反応できなくなっている。
それはアスカの意識を一杯に満たし、大きく見開かれた瞳からあふれ出す涙が苦悶を訴える。

「嫌・・・・・なんで?もう嫌なのに・・・どうして私を苦しめるの?御願い楽にさせてよ」

小さな子供の懇願のように、ただ逃げたいと言うだけなのに。
願いは叶わず消えていくだけ。

幻の2人の紅い瞳は悲しげに見つめているだけ。
だけどアスカには何も瞳に写さない人形にしか見えない。
心に掛かった靄がアスカの瞳を曇らせている。
まだアスカには道が見えなかった。



『これでいいの?本当に良いの?』
『・・・・・・・』
『私たちは間違っていないの?』
『わからないよ・・・・。でも・・・』
『でも?』
『逃げた先には・・・・・・何も無いんだよ』
『・・・・・・・・・・・・・・』

いつか聞いた言葉。
幻の少女は固く拳を握り瞳を閉じる。
心に浮かぶ少年の笑み、涙。
それが生きていくと言うこと。
それが生きていける存在に課せられた事。

『レイ、僕たちは信じるしかない。
 再び未来を得たシンジ君達が歩み道を。
 僕たちが生きていたという証を。』

まだ現実を生きる2人は闇の中。
もがき苦しみながらも道を探す。
まだ生きているのだからこそ苦しみを感じる事ができるのだから。


<野上まこと の後書きという名の言い訳>

断たれたのは未来ではなく過去。
まだふたりは苦しみ続けています。
レイとカヲルができることは少ないのです。
結局は道を選ぶのは他人ではなく自分自身なのですから。

シンジ − 求め続ける他人。
アスカ − 全てを無くした存在。

2人の未来はまだ見えません。



まだ、このSSを読んでくださる方、いるでしょうか?(^^;
もしいらっしゃいましたら何か一言下さると嬉しく思います。

nogami@asuka.club.ne.jp


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