世界が交錯する、世界が分裂する。

「それは人の数だけ存在する、サードインパクトは成功したんだよ」

世界が孤立する、世界が泣いている。

「それは決して交わる事の出来ない夢への絶望から」

ただ浮かぶ「世界」ではないところで二人の存在は寂しそうに見つめていた。


「疵   −罪と罰−」 afterday.4



紅い水、廃墟の街、死の十字架。
他にはなにもない、ここに生きるモノは己のみ。
血眼になって探した「他人」は自分の望み通り消えてしまっている。
もっとも大切だと感じた「他人」は自分の元を去った、あの時拒絶の言葉と共に。
諦めがついたわけではない、だからシンジは探し回った、あらゆる場所を、あらゆる空間を。
時間という観念は消滅し寝て起きて探すだけの今をシンジは何も考えないようにしている。
それは「他人」の恐怖を再び感じる事から逃げ、しかも「他人」に逃げ込もうと必死になる事で
不安を少しでも無くしたいと思っているから。
どうしようもない「現実」を見たくないからそれに変わる「希望」を「妄想」と共に自分に言い聞かせる。
まだシンジはわかっていなかった、その「他人」も苦しんでいる事を、救いを求めている事を。
楽になりたいと願う事は悪い事ではない。でも己を本意に考えて他人の心を無視する事ほど愚かしい事はない。
それが不協和音を奏で、結果的にお互いに不快さしか感じなくなる。

「アスカ・・・」

まるで呪文のように呟き続けるシンジの黒い瞳には全く精気を感じない。
死んだ魚の目のように濁った瞳は自分に都合の良い情報しか映し出さない。
それは弱い心を守るために導き出した自己防衛本能。
そうしないと自分が壊れてしまうから。悲しい性(さが)は彼を一寸先をも見えない暗闇の中に迷い込ませた。
痩せ細る体が彼の苦難を示している。これだけ苦しんでいるのに彼は救われない。
救われない。体中に出血した痕、乾いて紅く残る。ふらふらと歩む足はもうその目的を忘れている。

「ああ、僕は何をしてるんだろう?」

突然足を止めてキョロキョロと周りを見回した。

「おうちに帰らなくちゃ、みんな待ってるんだ。そこで僕の帰りを待ってるんだ」

その笑顔は滑稽で

「暖かいご飯と心配そうな顔が僕の事を」

その言葉は虚しく

「みんな優しく・・・・」

変わっていく表情はまるであの少女のように

「みんな・・・・みんな?」

喜びも悲しみも捨て去る。

「えっと・・・・・」

違う、感情など初めから無かったのだから

「誰?みんなって?」

他人の存在が彼の脳裏からぼやけ、消えていく。

「えっと・・・・僕は何・・・してるんだ?」

やがて彼が得た安らぎは

「僕は・・・・」

ボヘミアンガラスのように繊細な心にヒビを無数に付け

「僕は・・・・・僕は・・・・・・」

カサカサに乾いた唇から漏れる言葉は

「誰?」

破滅の呪文
































夢は都合が良くしかも残酷だ。だれかがそんな事を言っていた。
ふとアスカはそんな事を考えながらベッドに転がっている。
少しの混乱と何かを喪失したような虚無感がアスカを支配していた。
時計を見ると朝の六時をまわったところ。何時の間に目が覚めたのかわからなかった。
ただなんとなく考え事をしていた。釈然としないこの状況にアスカの心はなぜか落ち着かない。
失ったモノがあるのだろうか?何かを得たいと願えば何かを失う事になる。
その「何か」とは一体・・・。

「疲れてるのかな?」

だれに言うわけでもなくボソッと呟いてみる。もちろんその返事はない。

「さて、起きて学校へ行く用意をしなくっちゃ」

元気よく跳ね起きてみる。忘れてしまった「何か」に対する疑問を頭の中から払いのける。
それは考えても結論は出ないと半分あきらめにも似た気持ちが心の中を支配してしまったから。
とりあえず考えても仕方がない事よりも目先にある「登校」に対して行動を起こさなければならないのだから。

「学校行くの久しぶりよね、みんなに会うの楽しみね」

ちょっと気分が晴れた気がした。一日の始まりはやはり気分が良い方がいいに決まっている。
それにアスカにはシンジを起こしに行くという日課もある。早めに起こしに行かないとシンジはなかなか起きない。

「しょーがない奴よね、あの馬鹿」

嬉しそうな顔をしながら寝間着を脱ぐと鮮やかな下着が見えた。

「シャワー浴びないとね」

今日はやけに独り言が多い、なんだか自分がこんな人間だったのが驚きだ。
とにかく綺麗にして一日を迎える事が日課だと記憶が言っているのだからその通りにするべきだろう。
そんな風に思いながらアスカは下着姿のまま、バスルームへと向かった。
脱衣室で下着を脱ぎお風呂の戸を開ける。

「ううっ、寒い」

冷え込んだバスルームに寒さを覚え早く体を温めたくてシャワーの蛇口を捻った。
冷水が少し出てきた後ゆっくりと湯気が上がっていく。熱いお湯がシャワーから勢いよく出てきた。
体に馴染む温度を確かめると全身にシャワーを浴びる。
気持ちが落ち着く。気持ちが晴れる。

「やっぱり朝はシャワーに限るわね」


心からそう思う。女は身だしなみ。美しさを保つための努力を怠ってはいけない。
三日間とは言えベッドに寝たきりだったわけなのだからピカピカに洗って。

バスルームからアスカの鼻歌が聞こえる。
また倒れてしまわないかと思った母親がそっと様子を見ていた。
ホッとする表情が己の心配が取り越し苦労だったことを物語っていた。

『アスカはもうだいじょうぶ』

母親は嬉しそうに頷くと台所へと戻っていった。






「アスカ、遅いよ」

お風呂を上がって髪も乾かし綺麗になったと満足して台所へ出てきたアスカを待っていたのは
不満たらたらと顔に書いてある少年だった。

「なによ…シンジ。朝っぱらからそんな不景気な顔見せないでくれる。
 せっかく良い気持ちで一日を始めようとしてるのに」

ジトーっとした目でアスカはシンジを見る。

「アスカ、シンジ君が迎えに来てくれたのにそんな失礼なことを言ってはダメよ」
「そんな…おばさん。慣れてますから」

照れくさそうに言うシンジにアスカは思った…それはフォローになってないと。

「さあさあ、シンジ君も一緒に食べて逝きなさい。」

そう言ってまるで予測していたかのようにシンジの分までパンとサラダを用意している。
アスカの記憶を辿ってもこんなシーンは無かった。

「ところでシンジ。なんであんたがいるのよ?」
「ん?だってアスカを迎えに来たからじゃないか」

あっさりと答える。

「だっていつもは私が迎えに行ってるじゃない?あんた朝弱かったでしょ?」
「ん−… まあそんなときもあるよ。だってさ、やっぱりアスカが心配だったし」

にこやかに答えながらパンを食べる。
なんとなく気恥ずかしく思えたアスカは頬が紅くなるのを自覚しながら顔をうつむけてパンを食べる。

「あらあらあら」
「えぇ!?そんなおばさん、別に変な意味じゃなくて」

嬉しそうに反応する母親にシンジは慌てて反応した。

「やっぱりシンジ君はやさしいわねぇ。アスカちゃんのお嫁さんにぜひとおもうんだけどねぇ」

「何言ってるの!」
「何言ってるんですか!」

ほぼ同時に発したこと言葉にハッとした二人は一瞬視線を交えて…うつむく。

「さてさて、ふたりともそろそろ出発しないと遅刻するわよ」

アスカは母親の指さす方に視線を向けると驚いた。

「なにしてんのよ!走るわよ、シンジ!」
「うわぁぁぁ、やばい」

二人は慌てて玄関へと向かい慌ただしく靴を履いた。

「「いってきます」」
「いってらっしゃい」

母親はそんな二人を嬉しそうに見つめていた。











「お、シンジ。おはよーさん」
「やあ、トウジ。おはよう」

後ろから挨拶をしたのが鈴原トウジ。碇シンジの親友で大阪弁を操るジャージ男。

「なんやシンジ。夫婦揃って登校かいな。邪魔したか?」

その含みのある言い方にアスカは足を止めた。
そして反論しようとしたシンジはアスカに鬼気迫るモノを感じて言葉を失いつつ
思わず後ずさった。

「いや、アス…「すぅーーずぅーーーはぁーーーらぁぁぁぁぁぁ」


くるりとトウジの方を向いたと思ったら力強く地を蹴りその細い躰を宙に浮かせる。

「なっ!?ぐぇぁぁぁ!」

トウジの腹部にアスカの蹴りが命中した。
カエルがつぶされたような声を上げて後ろにひっくり返ったトウジを見下げて一言。

「ふん」
「なんやいきなり蹴りをいれるなんてひどいやないか、暴力女!」
「あんたが訳のわからないことを言うからよ」
「わけわからんやて?休んでる間にお前の脳みそ腐ったんとちゃうか?」
「ハッ、アンタじゃあるまいし」

「よぉ、シンジ。おふたりさん。朝からエキサイトしてる時間はあんまりないと思うよ」

本人は爽やかに登場したつもりで声をかける人物が居る。
意味不明に光るメガネ、どことなくオタクっぽさを感じさせる雰囲気。

「ケンスケ、とめんなや。このアカゲザルには一回ビシッといわなきゃらなんのや」
「バカにそんなこと言われる筋合いはないわ!」

再び始まるアスカVSトウジ。
シンジは苦笑混じりに相田ケンスケに挨拶をする。

「バカな二人はほっといて、先に逝こうぜシンジ」
「え?あ!」

有無を言わさずケンスケはシンジの腕を取りぐいぐいと引っぱる。

「でもアスカ達は?」
「俺たちまで遅刻扱いされたらたまらないだろ?それにあのふたりならすぐに追いつくよ」

そしてカップラーメンが出来上がる三分もしないうちにケンスケの言葉が的中した。

「友達甲斐のないやつらやなぁ」
「幼なじみの私をほっといて先に逝くなんてシンジどーゆー了見よ!」

「な?」

息を切らせながら追いついてきた二人の言葉に一呼吸おいてケンスケはシンジに笑いかけた。
ワイワイガヤガヤと楽しい朝の儀式は今日も始まる。
アスカはなんだか夢みたいな心地の中にいた。
なんだか恐いくらいの幸せの中にいるような不安が心の水面に一滴だけ落ちる。
それはたぶん…

「これからどうやって生きていくことになるかわからないから。それは誰でも感じる不安」

少しだけ微笑みながらアスカにだけ言葉をかける少女−綾波レイが三叉路の一方から出てきた。

「おはよ、綾波」
「よう!」
「おはよーさん」

「おはよう、みんな」
「お、おはよう。レイ」


挨拶がすむとみんな止めた足を再び動かす。
アスカはさっきのレイの言葉が気になる。なぜ自分の考えていて事がわかったのか?まるで。

「それは…なんだか不安そうな顔をしていたから」
「え…そんな顔してた?私」
「ええ」

ちょっと心配そうな表情でレイは遠慮深げに頷いた。

「ふぅ…さすがレイね。でもまあ、たった三日倒れてただけで不安になるなんて私らしくないわね」

努めて明るく振る舞っているかのように答える。

「それは別に悪い事じゃない…と思う。誰だってそんな時、あるわ」
「そうね。ふふ、ありがとう」

取り除かれた不安。レイの言葉が小さな「ほころび」を埋めてしまう。
奇妙にそして不自然に思えたことが消え去る。だから人は他人を必要とするのだろうか?
アスカの思考になんだか変な想いがよぎった。
ただ漠然と心の中でしっくりと来ないピースが有るような気がした。
何かがずれているような感覚…。
確信が持てないからそれはただの取り越し苦労だと頭の隅に追いやる。
そんなアスカを無感動に見つめるレイはしばらくしてから視線をシンジに向ける。
その紅い瞳に先ほどには無かった悲しみが宿る、誰にも知られることのないレイの想いが。



たった少しの疑いが世界を壊す。
ほんの少しの疑問が幸せを壊す。

あまりにも脆いバランスの上に作られた世界は少女の気持ち一つで運命が決まる。
少年は心を塞ぎ、少女は幻に安らぎを求める。
すれ違う心はどこまでも交わらず、目を逸らす現実はいつもそこにある。

『私は私を苦しめる世界が嫌い』
『僕は僕を苦しめる現実が嫌い』

まだ二人は暗闇の中を彷徨い続けている。


 
 
 
 

<野上まことの言い訳という名の後書き>

えっと(大汗)
ずっと待っていてくださった方、本当にごめんなさい 野上まことです。
先日私の主催するHPの掲示板に応援してくださる方が書き込みをしてくださいました。
この場をお借りしてお礼申し上げます。
当初考えていたプロットがほとんど断片的にしか残ってないので今必死で考え直してます(苦笑
だから違和感を感じるかもしれません。まあ、エンディングは「疵 −きず−」へと繋がりますので
変えようがありませんが。

今持っている幸せは本当ですか?今感じている不安が現実だと思ったことはありませんか?
幸せと不幸せ その定義はいったい何なのでしょうか?
アスカとシンジ ふたりは今…彷徨ってます、自分の信じた道を歩むために。