−何時果てるとも知れない波の音。

 

 






その砂浜はなだらかなカーブを描き、目で見える範囲にはとても収まりそうもないほどの巨大な円を形成しているはずであった。

その砂浜から少し離れた所−よほどの事が無い限り波がその部分を侵食する事はないであろう場所に、その人気のない世界で唯一、新たに人の手が加えられていた部分があった。
2本の木材と1本の縄で十字に構成された、墓標。
その数は20を越え、1m間隔おきに丁寧に配置されていた。

もうすぐ夜が明けるのだろう、うすぼんやりとした光がその墓標達の輪郭を浮かび上がらせ、その存在を主張させる補助となる。




「朝、か...」


そこに立つ少年−いや、青年と言うべきだろうか、は呟く。
振り向けば海側の空から少しずつ光が漏れ始めている。

手に持った小さな花を一つ一つ墓の前に置いていき、その度にしばらく黙り込み、そして口を開く。一言二言何かを口にすると次の墓に移り、同じ事をする。

その表情は真剣そのものであり、その眼差しには何か決断めいたものを感じさせる。
時折微笑を浮かべ、辛そうな表情にもなり−目まぐるしく表情を変えながら最後の墓標の前に立つ。


「父さん−」


今までよりもずっと長い沈黙と、少しづつ紡ぎ出される言葉と−それはある意味決別の言葉だったのかもしれない。父親の幻影に縛られていた過去の自分への。



「...でも、もう大丈夫、だから」



それがその場での最後の言葉だった。花を添え、そっと立ち上がり、そして暫しの間その墓標をじっと見据えると、踵を返しその墓地を後にする。

日の光はますます強まり、辺り一面の景色をより際立たせていた。


 

 

 

 


「マーブルスカイ」

written by さんご



 


 



その墓地から歩くこと十数分。
サードインパクト時の衝撃波の直撃を避けたとはいえほぼ壊滅的なダメージを受けたとある山間部の小さな町。彼らは今そこを暫しの安住の地と決め、運良く被害を逃れた町外れの民家をその住まいとしていた。

朝日が出てくるとその民家の屋根に設置されたささやかな太陽光発電システムのミラーがキラキラと輝きを増す。この壊滅後の世界で彼らに残されたものは、知識と、物資と、そして自然の力であった。それは人二人が生きていくのは十分なものであったのでこうして何かに追われることなく生活ができている。


「朝の...6時か」


時の刻みがほぼ無意味になったこの世界、日の出と日没が全ての基準となるこの世界でこのような言い方は少し変なのかもしれない−そう思うと青年−碇シンジは神妙な顔つきになる。

目をそっと閉じ、耳を澄ますと聞こえてくるのは、遠くの砂浜からの波の音、朝であることを実感させる雀の鳴き声...音だけ聞けば人間がまだこの地に存在していた頃と何一つ変わっていないのだ。


家の中に入るとまだ中は薄暗い。この生活に落ち着くまでに苦楽を共にしてきた同居人−惣流・アスカ・ラングレーはまだ起床していないようである。

まだ朝も早い。できるだけ彼女を起こさないように、音を立てないようにしながら彼は朝食の支度にかかることにした。

水道は使えないので近くの沢から引いてきたものを、飲料に使う場合は沸騰させて使う。少し不便だがこれに関しては仕方が無い。こうして考えると水道とはなんと便利なものであったか。ただ蛇口を捻るだけで清涼な−少なくとも飲む分には安全な水が出てくるのだ。

ヤカンに水を入れ、火にかける。いや、ガスそのものは使えないのでこの場合電磁調理機にかけると言った方が正しいのか。結局の所、彼らは全てのことを電気に頼らざるを得ない生活を余儀なくされていた。

しかしこの生活も慣れればそうそう苦になるものでもない。

「住めば都...ってやつなのかな」

チリチリと小さな音を立てる電磁調理機とヤカンを交互に見ながらシンジは呟いた。実際の所この生活に慣れたのか、そうそう不便だと思う事はなくなっていた。
太陽光発電により熱も蓄えておけるので風呂等も暖かいお湯が出るのである。無論、この事実が彼の同居人を狂喜乱舞させたのは言うまでもない。

曰く、「オフロってのはねぇ、お湯が出るからオフロなのよっ!!」だそうである。


今日はどうしようか−

「(食料の備えはまだだいぶ残っているし、水も問題ない...少し機械類をチェックする必要があるのかな。ここに来てだいぶ経つし...それと...)」

しばらく物思いにふけっているとヤカンの先端からもうもうと蒸気が吹き上げ始めていた。少し間を置いてからそっとスイッチを切って加熱を止める。ケトル式のヤカンを使わないのは彼なりの配慮である。いつも先に起き、朝食を作るのはほぼ惰性の形で彼の担当であったし、あの耳障りな音で起こされるというのはあまりいい気分ではない。

「...ん、これで、よし、と」

二人分の朝食が用意でき、満足気に肯いた瞬間、彼の背後から百年の眠りから覚めたような声がする。

「ふぁ...おふぁよ、ひんじ」


躾に厳しい人間が見たならばまず確実に「だらしない」と思う状態であるが何せこの世界にはこの目の前にいる朴念仁以外に人間は居ないのだ。そう思ったらそうそう肩に力を入れて朝からシャキっとしていることはない。これが彼女の導きだした答えであった。

以前その事を話したら「でも、世界がこうなる前からアスカは朝はだら...がふっ!」

...無論最後まで言わせなかった。

 

「おはようアスカ、ほら、朝ご飯できてるから、顔洗ってきなよ」

「うん....」

まだ寝ぼけ眼をこすりつつ、アスカは洗面所に向かう。洗面所と言っても水道が使える部分は限られているために結局の所は風呂場であるが。

「...くっ、つめたぁぃ...」

沢から引いてきた水だけに非常に冷たく、目を覚ますと言う目的にこれ以上適した水はないのではないかと一瞬思ってしまう。ようやくボンヤリとしていた頭が覚醒してくる。そうなると自分の格好にも目が行くようになる。

少し涼しくなっていたのでパジャマを着ていたのだがその寝相のせいかボタンが所々外れて健康な男子にとっては少し刺激がきつい格好になっている。思わず赤面。

「あっちゃ〜...これはだらしないわ...ま、シンジしか居ないからいいんだけど」

既にすっかり開き直っているようである。

 




こうしてゆっくりとした朝食を終え、特にする事もない二人は思い思いの行動を取ることになる。シンジはまずは掃除と洗濯などの一般的な家事。洗濯は洗濯機なんか使えないので手洗いだ。掃除も基本的にはホウキを使ったものになる。

アスカはと言えば、リビングのソファーに腰掛けて読書である。町の中心部付近にあった倒壊した大き目の本屋から時折何かしらの本を拝借してきては読みふけっている。TVやラジオ等の娯楽がなくなってしまった以上、楽しみといえばこれくらいである。

「アスカぁ、洗濯物干すからさ、少し手伝ってよ」

楽しみを中断され、昔であったなら無視してそのまま読書を進行させるところであるが今はなんとなくそれは悪い気がして(実際悪いのだ)、素直に手伝うようにしている。それはシンジとの時間を共有する手段にもなるので面倒くさいのでそのまま読書する、という選択肢を魅力の上で陵駕していた。

自分の洗濯物の方が多いのでそれくらいは自分で干す、ということもあるのだが。

このようにシンジの家事を素直に手伝うようになったのは彼女にとってある意味大きな進歩でもあり変化でもあった。なんとなく気分の良い共同生活を送れるようになっていた。

そう、共同生活、である。


確かにお互いが好意を持っており、恋人かと尋ねられれば無論答えはYesなのだがなんとなく最近は別段お互いが恋人的な存在感ではなくなっていた。

では何かと問われれば...それは空気のようなもの、であろうか。
お互いが居て当たり前なのである。居ない生活なんて考えられないし居なくなった時の事を考えれば確かにぞっとする。

一時期はシンジが一線を越えてこないことに多少イライラした時もあったが...今となってはそこに居てくれるだけでも良いのだ。安心できるからだろうか。シンジはどこまでも自分を大切に扱ってくれている。それがわかっているので安心なのだ。


−そういう意味では恋人のラインはとっくに越えていると言っても過言ではないのだが。


「(この関係はねぇ...別段進展させるってもんでもないし、シンジがその気なら別だけど...って、アタシ、何考えてるんだろ)」

思わず再び赤面。

「?どうしたのアスカ?顔赤いよ?」

「な、なんでもないわよ」

変な所でこっちの変化に鋭いのだこの男は...まぁそれはこちらを常に気にかけているようで嬉しくもあり、恥ずかしくもあり。

「そう?病気とかになるとこの世界じゃ厄介だしね。お医者さんも居ないから大変だし、何か少しでも気分悪くなったら言ってよ」

「アンタもね」

自分の洗濯物を干しながらのぶっきらぼうな言い方。

「え?」

少しキョトンとして、シンジは少し微笑んだ。アスカなりの気遣いが感じられて嬉しかったのだ。

「...そうだね。僕も気を付けなきゃね」

そう言いながらシンジは最後の1枚を物干竿にかける。今日は久しぶりの快晴であり、彼の決心をより一層固めさせてくれるような、そんな天気だった。




午前中の家事が終わり、昼食が終わると二人とも暇になる。急いで何かをする必要がないので非常にゆったりとした時間が流れる。

アスカは再び読書に入り、シンジは食後のお茶を煎れている。
少し没頭しかけた頃、アスカの目の前にトン、と置かれる湯飲み茶碗。

「ん?...あ、ありがとシンジ」

「あっ、ごめん、邪魔しちゃったかな?」

「いいわよ、せっかくシンジがお茶煎れてくれたんだもの。読書は終了っ」

すぐ隣に腰掛けたシンジの肩にそっと寄り添い、そっと自分の頭を乗せてみる。
唐突の行動にあからさまにシンジは驚いたようだ。

「ど、どうしたの?アスカ」

「んー?なんとなくねー。最近こういう風にシンジとゆっくりする事ってあんまりなかったような気もしたし」

「そう?...あぁ、そうか、ここ一週間くらい午後は食料集めしてたからね。今日は久しぶりの休日、ってことになるのかな?」

「そーゆーこと。んふふー」

ぴったりとくっついた半身からシンジの温もりが伝わってくるのが感じられてなんとなくアスカは上機嫌だ。

「そっか...ねぇ、アスカ」

「んー?なぁに?」

「この生活に落ち着くまでに、色々とあったよね...」

「....うん...」

「...世界中の人達が消えてしまった、けど、アスカが居てくれるだけでも僕にとっては十分幸せなことだし...その...」

「バカ、どうしたのよ急にそんな事言い出して」

とは言ってみたものの顔の火照りが止まらない。

「えっと、つまり、その、アスカにはものすごく感謝してるんだ。あの時、僕を置いてどこかに行くこともできた。それなのに...」

突然グイっとシンジの首が強い力で引き寄せられる。アスカが胸倉を掴んで引き寄せたのだ。その目には少し怒りの炎が浮かんでいるようであり、半分は悲しみの色も含まれていた。

「もうそういう話は無し!もし、とか、ならば、の話も無し!アタシは自分の意志でここに居るの!シンジが必要だから、一緒に居たいからここに居るの!だから...だから...」

胸倉を掴んだ手を少し緩め、そのまま顔をシンジの胸に埋める。

「だから...そんな例え話、しないでよ...」

しまった、という表情でシンジはそっとアスカの背に腕を回し、そのまま強く抱きしめる。

「ごめんね、アスカ、そういう意味で言ったんじゃないんだけど...また悲しい気分にさせちゃったね。ごめん。僕にもアスカが必要だから...」

シンジはそこでふっと言葉を止めた。

しばらく何かを考えているようではあった。左手が昔の癖を思い出させるかのように開いたり閉じたりとせわしなく、それがしばらく続くとようやく意を決した表情になる。



「だから...何?」

そっと顔を上げるアスカの目の前にそっと差し出された物−

「これって...」

「だから、これを、受け取って、くれない、かな...」

途切れ途切れに紡ぎ出されるその言葉、明らかにシンジは緊張していた。その只事ではない雰囲気、そしてその差し出されたものを見てアスカの目が大きく見開かれる。

シンジの手にあったのは金色の小さなリング。

「これ...どうしたの?」

「ちょっと不格好だけども...自分で作ったんだ。材料はちょっと貰ってきたけど...その、アスカの指にぴったりになるように作ったつもりだけど...はめてみてくれない、かな...」

「う、うん...」

そっとそのリングを受け取り、少しの間その輝きに見とれる。シンプルだがそのリングには努力して作った跡があった。

「でさ...それなんだけども...その...薬指に、はめてくれないかな」

「え?薬指に...って、それって!!」

「...ダメ?」

しばらくそのリングを見つめながらうつむいていたアスカだったが、やおら顔を上げるとシンジの肩を軽く揺さぶりながら、涙を流しながら言葉を紡ぎだす。

「バカバカバカバカ!この卑怯者!この状況でダメなんて言えるわけないじゃない!...だって...せっかくシンジが頑張って...作って...ぐすっ...すんごく、嬉しいんだから...」

「...ありがとう、アスカ...」

「このバカシンジ...アタシを泣かせるなんて上等じゃない...」

そのまましばらく涙を拭いていたアスカだったが、何かを思い付いたかのように再び顔を上げて口を開く。

「でもね、シンジ」

「え?」

「一つだけ」

「え?」

「今、この世界には私達二人しか居ないから、私の手で一つだけ、法律を作るわ。この世界でたった一つだけの法律。それが守れると誓うのならば、この指輪を左手の薬指にはめてあげる」

「ど、どんな法律?」

シンジの目をじっと見据え、微笑みながらアスカが言う。




「夫はその妻を、妻はその夫を、一生離れることなく愛しつづけること」

 




「あ...」

「これが今、この世界にできた唯一の法律....守れる?」

「...勿論。絶対に守るよ」

「ん。よろしい。それじゃシンジ、アンタがこの指輪作ったんだから、アンタが責任持ってアタシのこの指にはめてよね」

「わ、わかったよ」

そして彼はそっと彼女の手を取る。ゆっくりとその指に通されていく「それ」は、本来あるべき場所へと収まり、その輝きを増すことになる。

暫しの余韻の後、唐突にシンジの胸に飛び込むアスカ。

「うわっ!どうしたのアスカ」

「なんか、さ...今すんごく幸せなの。だから、もうちょっとこのままで居させて」

「僕も...すごく幸せだよ」

「こんないい女捕まえたんだからアンタ世界一の幸せ者よ?感謝しなさい」

「世界に二人だけだから...確かにそうかもしれないね」

「....」

「....」

「「...っ、あはははははは」」













そして僕はそっと彼女を抱きすくめ、口付ける−




















時に西暦2017年 12月4日。
世界はおおむね平和であった。















あとがき


思い付いたが吉日、ということで書き始めたらサクサクと書けちゃいまして...
できるだけアスカの強気な性格を残しつつ素直に素直に...ああ、できない。

感想など頂けたら幸いです。こちら→ sango@evangelion.net


1999/9/16 さんご


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