日曜日、溶けるような日射しが大きな窓から差し込んでくる、爽やかな午前のひとときだ。
時計の針が10時ぴったりのところを指し示している。

「あ、もう起こさなくちゃ」

ダイニングキッチンでお茶を入れる準備をしていた少年が、自分自身に対して決意を確認するような声を上げた。
確かに、これはいささか危険と決意をともなう行事なのだ。
少年は立ち上がった。
もっとも、「逃げちゃダメだ」が平素の彼の口癖とはいえ、別に自己犠牲の精神が旺盛なわけではない。
もし少女を起こさなかった時、後からやってくる彼女の怒りの方が恐いというわけだ。

ゆうべ、黄色いパジャマ姿のアスカがわざわざシンジの部屋に入ってきてのやりとりがこうだ。

「いい、バカシンジ? ぜーったい、ぜーったい、10時には起こしてよね。貴重な日曜日を無駄に過ごしてたまるもんですか!」
「え、でもそれならもう少し早く起きたら……9時とか8時とか」
「おばかシンジ。アタシは連日のエヴァの起動実験で疲れてるの。貴重な睡眠時間を少しでも妨害したら、殺すわよ!」
「わ、わかったよぅ、10時ぴったりに起こせばいいんだろ……。でも何か予定でもあるの?」
「でぇとよ、でぇと。午後から加持さんに色々つれてってもらうの。……だから午前中には準備をしておかないとね。」

アスカの手前勝手で矛盾した命令を素直に受けてしまうところが、シンジという少年の押しの弱さだろう。
女性が強くなった、この国でそんなことを言われ出したのは二十世紀の末だというが、セカンド・インパクトをまたいでも、その流れは一向に変化する気配がないどころか、加速する一方だ。もっとも、この場合、シンジ自身の性格に負うところが大きいのだろうが。

首を横に振って回想を振り切ると、ようやく立ち上がってシンジはアスカの部屋に向かった。

「勝手に入ったら殺す」と明らかに、この家唯一の男性住人に向けて書かれたと思われる張り紙の前で、しばし逡巡し、
「これってアスカの命令なんだから、勝手、じゃないよね……」
そうひとりごちて、ふすまをそっと開ける。緊張をほぐすように息を吸い込んで足を踏み入れた。
鼻腔をくすぐったのは、女の子の部屋独特の甘い香りだ。
シンジはちょっとたじろいだ。

目の前のベッドの上に、布団を半ばはねのけ、パジャマの腹をはだけさせただらしのない少女が目に入る。

「どうして、こんなにだらしないかなぁ。」

14歳で学士の学位を取得、スポーツだっておよそ苦手のない、文武両道の才媛……というにはいささか幼すぎる印象があるが、いずれにしてもクラスの男子たちも放っておかない天才少女である。

それだけに、もう少し生活方面でもきちんとすればいいのになぁ、とシンジは思うのだ。
欠点のない人間はいない、という観点からすれば微笑ましくはあるものの、彼女の将来が、この家の家主である女性のようにすさんだものになるのではないか、と少し不安を感じるのである。それこそ、シンジのように、優れているとまでは言わずともごく平均的な生活能力を持った人間が、すぐ側に居てやらなければどうしようもない、と思わせるような。

「アスカって、妙にミサトさんに似てるとこあるからなぁ……」

強気で自信満々なところ、意外に性格的に抜けているところがあること、普段はあまり意識しないが、アスカには小ミサトとも言える要素がある。
もっとも、ミサトの方が大人の分、アスカほどには険がなく、自分の性格を丸く見せる術もこころえているのだが。

「ねぇ早く起きてよ・・・アスカぁ」
「うーん。」

おそるおそるアスカの肩に手を掛ける。柔らかい感触だ。

「起きて、起きてよ。ねぇ、ねぇってば……もう10時だよ。起きてデートの準備するんだろ?アスカ……」

つい懇願調になって、なかなか起きないアスカを起こそうと肩を揺さぶる。
こちらの努力に対する評価よりも、結果として約束が果たされたかどうかによって、シジへの対応……場合によっては懲罰……が決まる。
シンジが必死になる所以だ。

20秒ほどもたっただろうか、突然、アスカのまぶたがぱっちりと開き、

「あ、起きた?」

シンジの嬉しそうな顔も一瞬だった。悪鬼羅刹のような表情のアスカが蒼い瞳でシンジを一瞥し、むくっと起きあがると、

「なぁんで、アンタがアタシの部屋に忍びこんでるのよぉ、このおっド変態っ!!」

脇腹に雷撃のような蹴りを食らって、少年はベッド脇に崩れ落ちた。





 
寝相 〜NEZOU〜

Written by すのーろーど






「酷いよアスカ、起こせって言ったのは、アスカじゃないか……」

居間に戻ってきて、いつものタンクトップ姿に着替えたアスカと遅い朝食の食卓をはさんで相対しながら、まだ痛む下腹をさすってシンジはぼやいた。

「だからすっかり忘れてたんだって……あーもう、うっとうしいわね。男のくせにいつまでそんな泣きそうな顔してんのよ。さっきから謝ってるでしょうが。」
「だって……」
「……っとに、わかったわよ。じゃあ、お詫びに今日の午後はアンタにつきあってあげるわよ。加持さんとのでぇとはやめてね。」

どうだ、これで文句ないだろうとばかりに、タンクトップ姿の少女が、ぐいと胸をそらせる。

「別にアスカが出掛けるのやめても、僕には関係ないじゃんか……それに、さっき携帯で電話してるの聞いたけど、加持さんは休日出勤なんでしょ……」
「うぐっ……立ち聞きなんてやらしいわねっ!」

どうやらアスカはデートを断られたという事実をはぐらかすダシに、シンジを利用しようという腹だったらしい。
人一倍プライドの高い少女にとって、デートを相手から断られるという事実はそれなりに恥ずかしいもののようだ。
シンジはさらに恨みがましい、また猜疑に満ちた視線で、アスカに意見した。

「アスカ……寝相が悪いの、いい加減に直した方がいいよ。女の子なんだから」
「何いってんのよ、バカシンジ。あたしの寝相が悪くたって、一体誰に迷惑掛けるってのよ?」
「それは……今は大丈夫でも、将来、誰かに迷惑掛けるかもしれないし……」

そんなシンジのふとした言葉が、少年が押し気味だった二人の状況を劇的に変化させた。

「将来?」

アスカの目が点になり、オートミールを口に運ぶスプーンを持った手がぴたりと空中で止まった。
そして、哄笑。

「アハハハッ!……そうよねー。確かに将来一緒になる旦那さんには迷惑掛けるかもねー」

ようやく優位に立ったとばかりに、にやにやした表情のアスカが、シンジの深意を探るようにディープブルーの瞳で見つめてくる。

「そ、そうだよ。だから直した方がいいと、僕は思う……」

シンジがおどおどした声で言うと、アスカは途端に真剣な表情になって、ぺこりと頭を下げた。

「ごめんね、シンジ。将来あたしの寝相があんたに迷惑かけるかもしれないね。今のうちに謝っておくわ」
「え、ええっ。それ、どういう……」

とりたてて頭が鈍いというシンジでもないのだが、目の前の少女の一見脈略のない言動に戸惑わされることは、それこそ一度や二度のことではなかった。
このときも目を白黒させて、アスカの言おうとすることを理解しようと頭をめぐらせたが、そのすぐ後に、アスカの解説が覆い被さってきた。

「だ・か・ら。あんたがあたしの旦那さんになった時、ベッドの上であんたを蹴っちゃうかもしれないから、ごめんねって言ってるの。」
「あ、あ、あ、……あすか、何いって……」

顔が上気しているのが、シンジ自身にもよくわかる。舌が自分のものではないようにもつれて、うまくしゃべれそうもなかった。

「あら何大袈裟に驚いてるのよ。あんただって一応は、あたしの未来のお婿さん候補の一人なんだから。」
「……ほ、ほんと」

思いがけない台詞にシンジは思わず赤らめた顔をうつむかせて、アスカの直接の視線をさけた。

「もっとも、バカシンジの確率はせいぜい5%ぐらいね。ううん……もっと少ないかも。だってあたしの本命は愛しい愛しい加持さーん、だもの」

やっぱりまた、僕のことからかってるのか……。
シンジは急速に暗い顔になって、ふらふらと椅子から立ち上がった。
今までにやにやとしていたアスカが、シンジの表情に何故かあわてた様子で付け加える。

「あ、でも……そうね、あんたとはお互いのファーストキスを捧げ合った仲だし、もしかしたらもうちょっと確率は高いかもネ」
「……」
「シンジはどう思う? やっぱり、ファーストキスの相手と一緒になった方が幸せになれるかな。」
「わ、わかんないよ……そんなこと……」

ふてくされたように床にしゃがみこんだシンジの正面に席を離れたアスカがやって来た。そっとシンジの手を握る。

「さわんないでよ……僕のこと、からかわないで……」
「からかってなんかないわよ。アタシのこと、避けるんじゃないの」

ひんやり、冷たく、白い手。
その冷たいはずの少女の体温になぜか、シンジはアスカの手を振り解こうという気力が萎えつつあるのを感じていた。
その手が次は、シンジの両頬を撫でる。

「ケッコン……したいなら……あたしの寝相にさえ我慢できればいいのよ。」

静かな声、相手の気持ちを探るような声。一見、揺れのない表情の中にも、注意深い人間ならば少女の微妙な恐れの感情を感じとることができただろう。
もちろん、シンジにはそれに気づくだけの鋭敏さも余裕もない。

そして。

こつんと、少女は額と額を合わせた。

「あ……」
「我慢できる?」

優しげな問いかけ。

「う、うん……我慢する……」

くしゃくしゃにした紙のような表情になったシンジはそれだけ言うので精一杯の様子だった。

「じゃあ、プラス10ポイント……。でもまだ二番手よ。他にアピールするところはない?」

片頬と片頬をふれあわせて耳元で甘くささやく。

「ご、ご飯も僕、作るよ。……掃除と洗濯も……」
「プラス15ポイント。もう少しで加持さんを抜きそうね。」

アスカの手がシンジの耳たぶをむにむにと触ってくる。
そんな感触を味わいながら必死で自分の長所を考えてみるが、何も思い浮かばない。必死になればなるほど、赤熱した頭の中身が空回りする感じだ。
わっと泣き出しそうな感覚がシンジを襲う。このままじゃ、アスカは……アスカは……加持さんと。
結局、シンジは何も言い出せなかった。

「も、もう僕、アピールできることなんてないよ……」
「じゃあ、諦めるの? ただの暇つぶしだったとはいえ、あたしのファーストキスまで奪っておいて……もったいないじゃない。」
「諦めたくない……でも……」

シンジの壊れそうな表情を見て、ふう、とアスカがため息を付いた。
しょうがないな、とばかりに肩をすくめて、

「じゃあ、あたしがあんたのアピールポイントを教えてあげようか」
「ホントに?」
「あんたは情けなくて何の取り柄もないから、特別のハンデよ?」
「うん」
「じゃ、目つぶってよ。教えてあげるから、耳だけで聞いて」
「こう?」

シンジの視界が暗黒に包まれる。静寂の世界に、二人の小さな息づかいだけが聞こえる。

「アスカ?」
「黙って」

アスカはじっとシンジの顔を見つめる。
少年にしては白い肌。美形というのは到底無理としても、可愛いという範疇には収まるかもしれない。少年には似つかわしくない形容ではあっても。

……可愛いよね、こいつ?

自問したアスカは、心の中でもう一度うん、大きくとうなづく。
そして、行動に移った。

「あ」

シンジが驚愕とともに再び目を見開いたときには、事態が一変していた。
瑞々しい少年の唇をついばむ小鳥の様な少女の口。
アスカの舌がシンジの舌を求める。
すぐに、シンジも再びとろんと目を閉じる。
陶酔のひととき。

「これで、あたしのセカンドキスもあんたのものね。おめでと。」
「……あ、あ……アスカ」

興奮さめやらぬシンジが、心臓をバクバクさせて、同じく上気した顔のアスカを見やる。

「加持さんの方が何十倍もあんたよりかっこいいけど、唇を許すのはあんたにだけ。わかった? これがあんただけのアドバンテージよ」
「……うん……」

シンジの目が潤んでいる。今にも泣き出しそうな顔の少年は、アスカにわっとしがみつくと初めて素直な心情を吐露し始めた。

「アスカ……僕、アスカのこと……好き……好きだよぅ」

うふふとアスカは微笑んでシンジの頭を優しくなでる。
そんなこととうの昔に知っていたわよ、とばかりに何度もうなづいた。

「ほんとにかわいいね、シンジは」

シンジはふにゃふにゃと骨抜きの状態になって、アスカの年齢のわりには十分豊満な胸に頭をあずけている。
ぎゅっとアスカの母性を感じさせるような柔らかな体にしがみつく。そんなシンジにアスカは囁く。

「結婚すればこんなこと……ううん、もっと楽しいことが、毎日いくらでもできるんだから。楽しみにしていいのよ。ね?シンジ」
「うん……ぼくもがんばる……」

素直にうなづくシンジの頭をもう一度、いい子いい子してから、

「それじゃ……一緒にお昼寝しよっか」

日曜の長い昼下がり、時間はたっぷりとある。中学生の男女の休日の過ごし方としては珍しいだろうが、今日のアスカにとっては特別な意味を持つことだった。

(寝相の問題、解決しとかなくっちゃ……ね)

アスカは右手を差し出して陶然としているシンジを立たせると、手をつないだまま自分の部屋へと連れて行った。
少女の部屋の前まで来てようやく、シンジが完全に遅れた反応を返した。

「お昼寝?」

トロンと夢見心地の目をしたままのシンジに、アスカは微笑んだ。

「アタシの寝相でベッドから蹴り落さないように、これからはぎゅっと抱っこしてあげる。」









TENさん、さんごさん、いつもお世話になってます。
やっと、以前からの投稿のお約束が果たせました。久々の新作でもあります(しかも久々にちゃんと話が終わった(笑))。
受け取ってくださいませ。

初めての方は初めまして。そうじゃない方は、お久しぶりです。
LASって最近元気ない?エヴァの二次創作自体がそうなのかな……私はほそぼそと「可愛いシンジと勇ましいアスカ」(むしろシンジメイン(笑))を書いていきたいと思ってます。
感想・ご意見その他ありましたら、ikari.asuka@langley.vip.co.jpまでお願いしますです、ハイ。