「No!」






「やだ!」




「え?」

アタシは聞き間違えかと思った。

「今、なんて言ったの?」

「やだと言ったらいやだ!」

「…ふ〜ん、珍しく強気じゃない」

アタシは驚いた。

珍しくどころかこんなことは初めてだった。

こいつと一緒に住み始めてもう5ヶ月近く経つ。

その間に面倒な事は全て押しつけ、従わせてきたアタシにとって、

下僕が命令を拒否するなどということは由々しき事態だった。

「そんなこと言ってただで済むと思ってんの」

アタシは言葉に怒気を込めて言い放つ。

すると、ちょっとひいた素振りを見せたが、それでもこいつは意見を変えなかった。

「お、思ってるよ」

「ほう?」

「思ってるさ」

「アンタ…いつからこのアタシにNoと言える日本人になったの?」

「な、なんだよそれ」

「まあいいわ。少し時間をあげるからよく頭を冷やす事ね」

アタシは置き土産にこの馬鹿の足を思い切り踏んでから部屋に戻る。

閉めた襖越しに、なんか嘆いている声が聞こえてきたが、聞こえなかった事にした。

それにしても予想外だった。

人の言う事には素直に従う、それがあいつの処世観だったはずなのに、まさか拒否権を発動するとは。

しかもこのアタシに向かって。

それも、よりにもよってまさかこの命令を断わるとは…。

アタシは女としてショックを隠しきれなかった。

(やっぱりアタシって嫌われてるのかな?)

こんな言葉が思わず浮かんできた。

確かに嫌われるといえば、嫌われて当然の事を数々してきたようにも思えるが、

だからといっても、そんなことは有り得ないと思っていた。

あの馬鹿がアタシを嫌うなんて、そんなはず無い。

だって…あいつ馬鹿だもん。

アタシを嫌うなんて、あるはずない。

今まではそう思えた。

アタシがどんな無茶な事を言っても、あいつは結局全てを叶えてくれたから。

だから、嫌われてなんか無いと思ってたけど…。

もしかしてアタシの思いあがりだったのだろうか?

アタシ一人が勘違いして…ホントは、あいつは反吐が出るほどアタシを嫌いだったとか…。

だって、じゃなきゃアタシの「願い」を断わるはずがない。

こんなおいしい願い、男だったら断わるはずないのに…

触るのも嫌なぐらい嫌われたとか?

そんなことになったら、どうしよう。

軽い冗談のつもりだったのに…。

謝ろうか?

なにを謝るのよ?

今までの全て?

こんなお願い?

なんでよ!

アタシがそんなことをする筋合いはないわ。

そうよ、全部あの馬鹿が悪いのよ。

そうに決まってるわ。

このアタシのお願いを断わるなんて。

でもやっぱり嫌われてたら…。

…………。

あ〜もう!

寝よう、少し寝てから考えよう!


少女は自分のベッドに、ばふっと頭からつっこみ、そのまま沈黙した。




少年は踏まれた足をさすりながら考えていた。


まさかアスカがあんなことを言ってくるなんて…びっくりしたな。

僕の事を男と思ってないんじゃないか?

そんな気がする。

いや、そうとしか思えない!

ちくしょー、悔しい。

そりゃあいつもいつもアスカの言う事を聞いているけど、

それは飽くまでも僕の優しさからなんだぞ!

断わったらアスカが可哀想だと思えばこそなんだ。

決して気が弱いから断われないと言うわけではないんだ。

うん、嘘じゃないぞ。

…きっと。

そうだ、ここでがつんと言ってやらなきゃ。

僕だってやる時はやるんだってことを分らせてやるんだ!

 



少年は最前の会話を思い出す。

それは、彼が洗い物をしている時だった。




「ねえ、シンジぃ」

アスカが甘ったるい声を出して、後ろから僕に寄り掛かってきた。

「な、なにかな」

僕は突然のアスカの態度にびっくりして、さらにその体温といい匂いにどぎまぎしながら、

なんとか言葉を出す。

時々アスカはこんな態度をとってくるけど、それははっきり言って嬉し…迷惑なこと極まりない!

僕はそう思っていた。

なんだってそういらん煩悩を刺激しにくるんだ。

おかげで夜、僕がベッドの中でどれだけ悶々と苦しむか分っているんだろうか?

いや、アスカのことだから分ってるかもしれない。

そうなると僕はますます情けない。

なんてこった、僕はどこまで弱いんだろう。

いらない人間なんだ。

僕が得意の負のスパイラルに陥りそうになった時、現実に戻された。

「ねえ、シンジ!聞いてるの?」

「へ?」

「へ?じゃないわよ。まさかぁ、聞いてなかったんじゃないでしょうねぇ」

アスカはわざと僕の耳に息を吹きかけるように話してくる。

(うあ〜〜、勘弁してくれ〜〜)

僕は理性を掻き集めて煩悩に耐えながら、口癖で批難をかわす。

「ごめん」

「もう、またそれぇ?」

またアスカが耳に甘い息を…

(うあ〜ホントに止めてくれ〜〜!)

僕は心の中で叫びながらまた謝る。

「ご、ごめん」

「まあいいわ。それよりさぁ」

アスカが胸を背中に押しつけてくる。

(くうううううぅぅ!!逃げちゃだめだ〜〜)

もう限界が近いかも…。

「な、なにかな」

「アタシね、一人で寝るの寂しいの」

「う、うん」

「だからね」

「う、うん」

「添、い、寝、して」

アスカ一語一語区切るように耳元で呟いて、そしてとどめに僕の首筋を甘噛みした。

「!」

(もうだめだっ!拘束具は除去だっ!!)

背筋にぞくっ、とした感触が走って、理性は飛んだ。

僕はアスカの方に振り返り、思い切り両肩を掴む。

そしてアスカを抱きしめようとしてその顔を見たら、僕の反応を見てにやけてた。

「…………」

明らかに僕の葛藤を楽しんでいたんだ!

僕はそのアスカの顔で、一気に理性を取り戻した。

(くっそ〜!また僕をからかったな!)

僕はかなり腹が立ったが、アスカが、今度はその柔らかい手を僕の顔に添えてきた。

ドキッ

悔しい事に、僕の心はそんな攻撃でまたも理性が飛びそうになる。

そんな僕の反応に満足そうな顔をしながら、アスカはまたお願いを言ってきた。

「ねえシンジぃ、いいでしょう?」

左手は僕の右頬にそえたまま、右手の指で僕の顎をなぞるようにして追い討ちをかけるアスカ。

その言葉と、妖しい指の動きに僕は思わず、うん、と答えそうになった。

でも僕は、アスカが甘い言葉・仕草とは裏腹に、やっぱり笑いを堪えているのをしっかりと見た。

「!!」

そして僕のATフィールドが発生した。




「やだ!」

 


「え?今なんて言ったの?」

「やだと言ったらいやだ!」

「…ふ〜ん、珍しく強気じゃない」

…………。

…………。

こうして僕は足を踏まれた。


僕は痛む足を撫でながらもう一度考えた。

アスカは僕のことを男と思ってないんじゃないか?

いつもいつもアスカの言う事を聞いているけど、

それは飽くまでも僕の優しさからなんだぞ!

そうだ、ここでがつんと言ってやらなきゃ。

僕だってやる時はやるんだってことを分らせてやるんだ!




「逃げちゃダメだ」

僕は自分の手のひらを眺めながら呟き、決心した。

そしてがつんと言いにいこうと思って第一歩を歩き始めた時、

ガラッ

とアスカの部屋の襖が開いた。

と同時に、アスカが凄い勢いで僕に抱き付いてきた。

なんと、アスカは泣いていた。

「ど、どうしたの!?」

「ごめんなさい」

「え!?」

僕はますます驚いた。

何を謝っているんだろう?

「ごめんなさい、ごめんなさい」

アスカは消えそうな声で、涙にむせながらそう呟いている。

目を擦って。

「ね、ねえアスカ。泣いてたら分らないよ。なんかあったの?」

僕はアスカを刺激しないよう、軽く肩を叩きながら聞いてみた。

でもアスカは泣いているだけだった。

「え、っと」

家事は得意でも家庭内の揉め事には全く免疫がない僕は、途方に暮れた。

けれども、少ししてアスカが自分から言葉を出した。

「一人にしないで」

「!」

「お願い、一人にしないで。一人はいや」

そう言ってまた泣きはじめた。

僕はやっと原因がわかった。

それから凄い罪悪感にみまわれた。

(アスカは本当に一人で寝たくなかったんじゃ…?

それを僕が勝手に勘違いしちゃったんじゃ…?)

そう思うと血の気がひいてきた。

(僕は、なんてことを…)

目の前を見ると、そこにはとても小さいアスカがいた。

ズキ、とまた心が痛んだ。

僕はアスカを思いきり抱きしめる。

アスカは特に抵抗もしないで、僕の腕の中に収まった。

「一人にしないで」

アスカがもう一度呟いた。

「大丈夫、大丈夫だよ。僕で良ければ、ずっといるから」

「本当?」

「うん」

「嬉しい」

アスカはそう言って、僕の胸に頬を擦り付ける。

僕は、そのアスカの態度に、たまらない愛おしさを感じた。

そしてもっと強くアスカを抱きしめる。

アスカは、んっ、と軽く声を出したきり、そのまま受け入れてくれた。

それから何分くらい経ったろう?

アスカが僕を見上げて言った。

「添い寝、してくれる?」

「ええ!?」

「…してくれないの?」

おびえたような、弱々しい言葉。

その瞳には、また涙が溜まりはじめていた。

「だめ?」

「え…と」

僕が答えに窮していると、涙が一滴、アスカの頬を伝った。

「!」

それで僕の負けが決定した。

「だ、だめなんかじゃないよ。う、うん」

「本当?」

「う、うん」

 

 



…そうして2人でアスカのベッドに行き、僕の生殺しな時間が始まった。

目の前にアスカがいるけど、ここで手を出したら僕はキング・オブ・クズになれるだろう。

そんな勇気は僕になかった。

アスカは、すぐに寝息を立て始めた。

その安心しきった、穏やかなアスカの寝顔を見ていて、僕は思ったことがある。


やっぱり、男としてみられていないんじゃ…?

それと、



 

 


僕は、Noと言えない日本人。






 

 


                                               了




EVAとPHANTOM

デューク