『卒業』

Written by ぽてきち(本文)&たこはち(修正)


 


あーおーげーばー、とーおーとーーしー・・・・
桜の蕾もふくらみ始めた3月のとある月曜。
市立第三高校では卒業式がとり行われていた。



体育館の出入り口、ドア付近の席にその少年と少女は座っていた。

少年は、見るともなしに卒業証書を渡される卒業生たちを眺め、少女は俯き、
少し不機嫌そうに足をぶらつかせたりしていた。



体育館の2階の窓からは、澄んだ青空と綿菓子のようにほわほわと浮かぶ雲が見える。
時々、勢い良く吹く風は、こんもりと茂った木々たちを心地よさそうに揺らしている。








ふと少女は何かを決意したように、俯いていた顔を上げた。
さらりと揺れる栗色の髪。

『ねえ、シンジ…』

『…ん?何、アスカ。』

少年は隣の少女の問いかけに、前を向いていた顔を少女の方向に傾けた。

『アタシ、飽きちゃった…ねえ、抜け出さない?』

『えっ、抜け出すって…?』

『ばか、アンタ気付いてないの?…自分がどこに座ってるかわかってる?』

少年は、少女の瞳を見つめていた視線を外し、改めて辺りを見回してみる。
少女の向こうに見えるは、紅白の幕に見え隠れする体育館のドア。

『何のためにドアの近くを確保したんだか…、やっぱりシンジは鈍感ね。』

『…ひどい言い方だな……。』

『アタシに言われなきゃ、気付かなかったでしょ!?』

『…。』

『さ、行くわよ、シンジ。こんなかったるい所にいつまでもいられないわ。』

少女は、さっと身を低くすると、勢い良くドアの方へ駆け出す。
少年は、あわててその後を追った。










碇シンジ、17歳。市立第三高校2年生。
惣流・アスカ・ラングレー、17歳。同じく市立第三高校2年生。

葛城ミサトの保護の下に、ふたりが同居を始めたのは約4年前。
同じ中学を卒業し、共に同じ高校に入学したのは約2年前。
ミサトが加持リョウジと結婚し、マンションを出て行ったのは約1年前。


そして、現在も…ふたりは同居中、なのである。


強気なアスカと、アスカの尻に敷かれがちなシンジ。
口ゲンカは日常茶飯事…と言っても、アスカが一方的に怒り、キレて、
シンジに怒鳴りつけるというパターンばかりだが。
一見、あまり仲が良さそうには思えないふたりの日常。
しかし、ふたりがマンションを出ていく気配はない。





微妙なふたりの距離。
近づき過ぎると、壊れそうで。
離れ過ぎると、何とも言えない虚しさがこみ上げる。


曖昧なふたりの関係。
ひょっとしたら気が付いているのかも知れない。
でも、気付くのが怖くて、目を背けているだけなのかも知れない。















『好き』という気持ちに。















「あーあ、もう2時間もあんな固いイスに座らされて!
血行が悪くなっちゃったらどうすんのよ!あの校長ったら…。」

「仕方ないよ、卒業式なんだし…。」

「卒業式は退屈だし、アンタは相変わらず鈍感だし、あ〜あ、嫌になっちゃうわねぇ。」

「…途中で抜け出したんだから、いいだろ?
…って何で僕まで文句を言われなきゃならないんだよ……。」

家までの道中をぶつくさと文句を言いながら歩くアスカに対し、
アスカの理不尽な物言いに少々不満気な表情を見せるシンジ。



「ホント、何もわかってないわね、アンタは…。」

小さな声で紡がれたアスカの言葉は、春の風に吹き飛ばされて消えていった。





アスカはいつも、シンジの2・3歩先を歩く。
細い身体に風をまとうように、軽やかな足取りで。

風に揺れるつややかな栗色のロングヘアー。
光に反射して、きらきらと輝くアスカの髪。
シンジはその後姿を、少し瞳を細めて眺めていた。


ふと、アスカが足を止めた。
ふたりの距離が一気に近づく。
軽く背伸びをして、アスカはシンジの耳元にささやいた。

「ねぇ、シンジ?…手ぇ、つなごっか?」

「え、えっ!?アスカ、急に何言うのっ!?」

突然発せられたアスカの提案に、シンジは動揺を隠せない。

そんなシンジの様子はお構いなしに、アスカはシンジの手を取った。


『!!?』

ひんやりとしたアスカの手の感触にシンジの動揺は増す。





瞬間、アスカが不敵な笑みを浮かべた。
握り締められた手は、本来あるべき位置ではなく、
シンジの顔の辺りまで持ち上げられて…。


「シンジのくせにアタシに口応えするなんて生意気ねっ!
そういう事言う口はこう、こう、こうよ。ぐにーーっとね。
自分の口なのだから自分の手で戒めなさいっ!!」

「ん、んぁ…、あがっ……!」


先ほどの会話の中で、口応えと言えるほど、シンジは文句を言ってはいないと思われるのだが…。
アスカの中では何かが気に入らなかったのか、それとも手をつなぐという行為に対する、
単なる照れ隠しなのか。
とにかくアスカはシンジの手を取り、ほっぺをぎゅっと左右に引っ張らせたのである。


「ふふん、アンタ一瞬期待したでしょ?…いやぁね、シンジのスケベっ!」

「……は、はなひてよ、あふはぁ!」

今や、シンジの瞳にはうっすらと涙すら浮かんでいる。

「バツとして、今日はアタシの好きなおかずを作ってもらうわよ!覚悟しときなさい!」

アスカはおもむろにシンジの手を放すと、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

「全く、手荒いんだから、アスカは…はぁぁ……。」

「なぁに?まだ文句があるの?」

「い、いや、何も言ってないよ…はい、何も言ってないです……。」

瞳には涙、顔には動揺と困惑の表情を浮かべ、口では不自然な敬語を発するシンジ。
その様子を見てアスカはくすっと笑った。

「…よろしい。じゃ、早速買物に行くわよっ!」

「…はい。」

午後の穏やかな日差しに柔らかく包まれながら、ふたりは連れ立って商店街へと向かった。










夜。
ふたりが暮らすマンションの部屋。
リビングからは、時事を伝えるアナウンサーの声が聞こえ、
キッチンからは、リズミカルに刻まれる包丁の音と、肉の焼かれるこうばしい香りが
漂ってくる。

「シンジぃ、まだぁ?」

リビングから、タンクトップにショートパンツという、
お風呂上りのラフな格好をしたアスカが顔を覗かせる。

「もうちょっとだよ、待ってて。」

「お腹空いた、もう待てない〜。」

「う…子どもみたいなこと言うなよ……。」

「ねえシンジ、はーやーくー!」

「わかったから…テレビでも見てて。」

「もう待てないの〜!」

「わがまま言うなよ…急いで作ってるんだから。」

「はやくーーー!!」

相当お腹が空いているのか、アスカはいつも以上にシンジに絡んでくる。
そんなアスカの様子にシンジは軽くいらだちを覚えた。

「もう、邪魔だから向こうに行っててよ、アスカっ!!」

シンジにしては珍しく言葉を荒げ、アスカをにらみつけた。





その時。
普段からは考えられないような事件が、起こった。





「シンジ…ひど……い…」





深い蒼色をしたアスカの両の瞳から、大粒の涙が落ちる。





「…あ、アスカっ、泣かないで!」

突然の事態にまたもや動揺するシンジ。




「…シンジ、どうしてそんなに冷たいことを言えるの?」

「…冷たいって……」

「アタシ、邪魔なの…?」

「そ、そんなことないよ!!」

「ここにいちゃ…いけないの?」

流れ落ちるアスカの涙。
その粒は、まっすぐ頬を伝い、カーペットに幾つもの染みを作った。

「…シンジにとって、アタシは何なの!?」

「え、え…?」

「昔から住んでる、ただの同居人!?口うるさい女友だち!?それとも…?」

「ど、どうしてそういう話になるんだよっ!?」

「…もう、我慢できなくなったのよ!アンタが鈍感すぎるからっ…!」

「え…?」

「もう、こんな関係、いやなの!あやふやで、曖昧で、危なっかしくて…。」

「アスカ…」

「アタシは、もうとっくに気付いてた!自分の気持ちに…。」

「……」

「アタシは、シンジが居ないと嫌なの!」

「アスカ…僕……。」

「これだけ言ってもわからない!?アタシは、シンジのことが…」

「アスカ!」


シンジがアスカの身体をかき抱いた。
折れそうな位、強い力で。




「なんで…なんで、そんなこと言うんだよ、アスカ……。」

栗色の髪に顔を埋めて、シンジが苦しそうにつぶやいた。










気付いてはいたけれど。
認めてしまうのが怖くて。
認めてしまったら、壊れてしまうような気がして。

微妙なふたりの距離。



気付かない振りをしていれば、いつまでも続くような気がしていたから。
いつまでも、いっしょにいられるような気がしていたから。

曖昧なふたりの関係。











「僕は…アスカのことが……好き……だよ。…好き……なんだ。」

ゆっくりとかみしめる様に、シンジがつぶやく。

「…やっと言ってくれたね……。」

蒼い瞳に涙の跡を残しつつ、アスカが微笑む。

「え…?」

「鈍感な男といっしょに居るのって大変ね…。シンジ、何も気付いてくれないんだもん。」

「アスカ…」

「アタシが色々と言ってあげるのは、シンジだけよ。」

「…」

「わがままを言えるのは、シンジだけ。」

「……」

「シンジはアタシにとって、特別なの。…好きよ、シンジ。」










近づくふたりの瞳。
ひとつに重なるふたりの影。
この夜、ふたりの距離はゼロになった。










カーテンの隙間からこぼれてくる朝の光。
昨日まではひとりぼっちで眠っていたベッド。
ふと横を見れば、愛しいひとの眠る姿。
あたたかいような、くすぐったいような不思議な気持ちになって…。
少女は軽く、右の頬をつねってみた。

『イタタ…夢じゃあ、ないわね。』

少女、もとい、少し大人になった少女は隣に眠る少年を起こさないように、
再び毛布にもぐりこんだ。






曖昧な関係に別れを告げた、今。
ふたりの物語は、ここから始まり、続いていく。














(おしまい)


※あとがき※

お久しぶりです、ぽてきちです。
今回のSSは、某チャットにて、さんご氏とわたしの

『そういえば、このふたりで掛け合いやったことないねぇ』

という会話がきっかけとなり、突発的に始まった掛け合いを原案として書いたものです。
しかし、原案はあくまでも原案…。文章を編集しているうちに、
もとの趣旨とは全く違うSSとして生まれ変わってしまいました(爆)
ま、これはこれで有りということで…。

尚、このSSの雛型をたこはち氏に試読してもらい、氏好みに直してもらいました。
それでは、またお会いできるその日まで…。



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