「もう、最近の天気予報全然当たりゃしないじゃないの!」
夕暮れ時の公園の東屋に飛び込んで、濡れた制服をハンカチで拭きながら、アタシはバケツをひっくり返したような土砂降りの空模様を見上げ、悪態をついた。自信たっぷりに言う名物アナの口調にころりと騙されて、アタシは傘を持ってでなかったのだ。
「何が降水確率10%よ! 『的中率』10%の間違いじゃないの、ったく」
取りあえず水気をたっぷり吸った靴と靴下を脱いで裸足になり、ベンチに腰を下ろした。
「・・・つめた〜いっ!」
それまで気付いてなかったが、雨は下着にまで染み込んでいた。お尻に伝わる気持ちの悪い湿り気に閉口して、アタシはベンチを諦めた。
「・・・っくしゆんっ!!」
ここに来るまでに全力疾走したおかげでしばらくはなんともなかったが、しかし、いつか雨が止むだろうと、たかをくくったのが命取りとなり、身体が冷えてくるにつれて、鳥肌まで立ってきた。
アタシは、肩を抱きすくめて寒さを凌ごうとした。顔にかかる湿った髪の毛までが、アタシの機嫌を悪くした。
こんなところにいつまでもいると風邪をひいちゃうとは分かっていたけど、マンションに辿り着くまでに、まだ1km以上もある。アタシは、微かな期待を込めて外を伺ったが、気のせいかさっきよりも雨足が強くなったように感じられた。
文字通り、八方塞がりで、もはや自力ではどうにもなりそうにない。
「しょうがない、癪に障るけどシンジに迎えに来てもらおう」
アタシは、肩をすくめて制服の内ポケットから携帯を取り出し、そして、それを思いっきり地面に叩きつけた。
携帯は、すっかり水浸しになって故障してしまっていた。
「もう、冗談じゃないわよ!!」
アタシの叫び声は、地面を乱打する雨音にかき消された。
「・・・ああ、早く帰ってお風呂に入って、暖まりたいな。それで、お風呂から上がったら、シンジにアップルティーを淹れさせて、昨日買っておいたチーズケーキを食べるの。そうそう、夕食はビーフシチューにしてくれないかな。アタシがびしょぬれで帰って来るんだから、そのくらい気を利かせて当然よね」
アタシは、つい目を閉じて、その光景を想像してみた。その途端に、お腹の虫がぎゅ〜っと、はしたない音を立てる。その余りの大きさにぎょっとして、アタシは辺りをきょろきょろと見回したが、雨に煙る公園の周囲には人っ子一人いなかった。
そして、その時、辺りが大分暗くなっていることに気が付いた。幾分かは雨足は弱くなっていたが、それでも視界は殆ど利かない。
アタシは段々心細くなってきた。そして、その心細さを誤魔化そうと、自然と独り言が口を衝いて出た。
「もう、何やってんのよ、バカシンジっ! 同居人のアタシがこんなに遅くなってまで戻ってこないんだから、探しに来るのが当たり前じゃないの!! さっさと来てよ、風邪引いたりしたら許さないんだからっ!!」
なんだか悔しくなって、自分でも涙が出てくるのが分かった。
暗いのと、寒いのと、お腹が空いたのが、さらにアタシの孤独感を深刻なものにしていた。
「シンジ、早く来てよ・・・アタシを迎えに来てよ・・・」
夜気に当てられて、アタシは身体を震わせながら呟いて、期待を込めた瞳を公園の入り口に向けた。
すると、その向こう側から、雨の中を全力で駆ける人影が近づいてくる。
それは、気の利かないアタシの同居人。そいつは、きょろきょろと何かを探しているような素振りを見せ、公園の入り口から、中でアタシが震えているのを見つけると、さも心配そうな顔をして、近寄ってくるのだ。
「アスカ、探したんだよ!」
したり顔で近寄ってくるそいつを、アタシは思いっきり叱りとばしてやる。
「あんたバカぁ!? アタシがどの辺にいるかぐらい、見当つかないの? 一体どれだけ一緒に住んでいると思ってんのよ、そのくらいすぐにわかりなさいよ!!」
アタシの勘気に当てられると、そいつは、バツの悪そうな顔をして、雨の中に掻き消えてしまった。
「シンジ!? シン・・・」
アタシは首を横に振った。
あの鈍感な男が、アタシのことなんか気が付くはずはないんだ。こんな幻まで見て、一体アタシは何を期待してるんだろう?
とうとう立っているのが辛くなり、アタシはその場にしゃがみ込んで、膝を抱え込んで顔を埋めた。体がだるくなってきて、背筋に冷たいものが走る。
幻を見たのは、発熱して浮かされたに違いなかった。
ひょっとして、肺炎起こして、こんなところで死んでしまうのかな、なんて気の弱いことを他人事のようにぼんやりと考え始めていた。
「アスカ、よかったこんなとこに居たんだ。携帯が通じなくて、心配して探してたんだよ」
また幻聴が聞こえてきた。
アタシは、顔を上げようともしないで声を荒げた。
「・・・しつこいな」
「アスカ?」
「しつこいわね、あんたのことなんか何とも思ってないんだから、さっさと消えなさいよっ!!」
自分の心に言い聞かせるように叫ぶと、幻聴は聞こえなくなった。
が、今度はなにかが、がさっと床に置かれる音がした。
「・・・怒ってるの? ごめん、なかなか気が付かなくて・・・傘、ここに置いておくから・・・」
再び聞こえた幻聴は、ヤケに生々しかった。
「え!?」
思わず顔を上げると、目の前にアタシの傘と、バスタオルと着替えの入った袋が置かれ、そして雨の中に傘を差した人影が遠ざかって行くところだった。
「あ・・・・・あっ・・・・!!」
それは、咄嗟には言葉にならなかった。胸の奥からこみ上げ、溢れ出してくるものが、アタシの視界を歪ませ、頬に熱いものを滴らせた。
その瞬間に、アタシの中でせき止められていた何かが勢いよく迸った。
「シンジっ!!」
アタシは、裸足のまま雨の中を駆け出していた。そして、傘を差した人影がこちらを振り向くと、迷わず呆気にとられた顔をしている少年に、抱きついた。
「あ、アスカ!?」
「バカバカバカっ! どうしてアタシを置いて行っちゃうのよっ!! せっかく見つけたのに、なんで連れて帰らないのよっ!?」
「それは違うよ」
心外そうに、シンジは言い訳した。
「何が違うのよ! アタシを置いて去ろうとしたくせに。だいたい見れば分かるでしょ? これだけびっしょりに濡れて、具合が悪くなってるのに、アタシが一人で帰れるわけないじゃないの! あんたアタシを殺す気なの!?」
「そんなつもりじゃないよ。だって・・・」
シンジは突然アタシを強引に抱き寄せた。アタシは、びっくりして咄嗟に離れようとしたが、身体にはそんな力は残っていなかった。
「な、なにをっ!?」
「これ以上、アスカを濡らすわけにはいかないじゃないか。着替えを持ってきてあったから、席を外しただけなのに」
アタシは、思わず目を見張った。その時のシンジの顔は、悔しいけどとても男らしく見えた。ひょっとすると、加持さんくらい・・・ううん、加持さんなんかよりもずっと格好良かった。
「うん・・・」
アタシは、大人しく頷いた。すると、シンジはアタシを抱き寄せたまま、ゆっくりと東屋までエスコートしてくれた。
「一応、念のために下着とか、靴まで持ってきておいたから」
「へえ。あんたにしては、気が利きすぎてるじゃない。一体どういう風の吹き回しかしら?」
シンジにはいつもアタシの下着まで洗濯してもらっている。その点に関しては、アタシは既にシンジにどうこう言わないことにしていた。
「なんか、アスカがずぶ濡れになって、寒がっているだろうなって、そんな気がしたんだ」
照れくさそうなシンジの言葉に、アタシは再び胸の奥が熱くなった。
「調子のいいこと言うんじゃないの! さあ、着替えるから目を瞑ってあっち向いてなさい。少しでも見たら殺すわよ!」
「わかったよ」
そう言って、シンジはアタシに背中を向けた。
アタシは、ジャンパースカートのジッパーに手をかけようとしたが、ふと思いついて、シンジの前にこっそりと回り込んだ。
「目を開けたら、殺すからね!」
「わかったって・・・!?」
シンジは、それ以上しゃべれなくなった。
アタシの冷え切った唇は、少しだけ、シンジからぬくもりを分けてもらった。
-Fin-
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