泣き疲れたアスカは今は僕の膝の上で眠っている。

加持さんは黙ったまま運転を続けている。煙草も今は吸ってない。

 

 

 

ぼくも、アスカも、子供だと、その時『解った』。

 

 

 

 

 

或る日或る時突然に(其の四)
Written by PatientNo.324

 

 

 

 

 

 

 

僕は、泣き喚くアスカを初めて見た。

一緒に暮らしはじめて三ヶ月弱。

初めて見た。

 

 

 

 

 

僕のシャツの胸元は今はアスカの涙でぐしょぐしょに濡れている。脇の部分もアスカが強く握り締めたから皺々になっている。

アスカが泣いている間、僕はアスカの頭を撫でてあげる事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうすぐ、夜が明けるんだろうな、空の端が紫色に変わってきた。

 

 

 

 

 

「あと一時間くらいで空港に着く」
加持さんはそう独りごちた。

 

 

「ありがとうございます、加持さん」
僕も独りごちる。

 

加持さんは苦笑した。そして、胸ポケットから煙草を一本取り出して、火を点ける。

「二人の為ってだけじゃないさ。俺なりのケジメも、あったからな…」

 

僕は、何も言えない。

「すまんすまん、困らせちまったな。でも、俺もシンジ君に感謝してるんだ」
「え?」

 

「俺は、この世界の裏側を知りたかった。世界の――真実を知りたかった。
……だから無茶も色々してきたし、人には言えないような事だって散々している。

俺の手は赤く染まっているんだよ…」

 

 

加持さんの顔は、ルームミラーから少しだけ見えてる。その顔は何か寂しそうに見える


「でもな、世界ってのは『汚いもの』だけで出来てるわけじゃない。

それを教えてくれたのは、そうシンジ君とアスカ…なのさ」
「僕は…何もしてません」

僕はなにもしていない。

何も出来ない。

アスカが泣いていたのに、何も出来なかった。

 

「いや…君は十分にしていたさ。アスカが一番心を開いていたのは、間違いなく、君だよ、シンジ君」
「そう…なんですか…?」

 

そんな事を言われても解らない。アスカは僕にいつもきつく当たっていたから。嫌われてる、そう思ってたから。

 

「アスカは生まれてから…いや、本当の母親が死んでから…仮面を被ってしか生きる事が許されなかった…どんな時でも」

 

完璧な知性を備えた、完璧な少女。

誰にも劣らない、誰にも…

 

 

一人で生き抜ける、そんな少女。

 

 

それは彼女が被っている仮面に過ぎない、と。

 

「同世代の友達もいなかった。スキップを繰り返したアスカだからな…」
加持さんはやっぱり寂しそうに呟く。

 

ユニゾンの特訓の最後の夜。

 

僕が見たアスカの呟き。

 

 

あれが何を意味していたのか、ようやく本当に理解したような気がする。

 

 

 

 

「シンジ君、俺に出来ることは君達を空港に送ることまでだ。

頼む、アスカを……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕に、何ができるのだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アスカ、アスカ…」
「ん…」

僕はアスカの肩を揺さぶる。

「着いたの?」
僕の膝に寝たまま、顔を僕の方に向けて、眠そうな目をこする。

「うん、着いたよ」
飛行機の出発まではあと15分。手続きをして乗り込むには結構ギリギリの時間だそうだ。

でも加持さんはわざとギリギリになる時間に空港に着いたんだろうな。

 

「そっか…アタシ、寝ちゃってたんだ…」
「うん…」
「そっか…………!!!!!」

 

 

アスカの顔が真っ赤に染まっていく。何を考えてるんだろ?

あ、頬を手で押さえた。どうしたんだろ?

 

 

 

 

ゴツッ

 

 

アスカはよりにもよって跳ね起きた。
アスカの頭が、覗きこんでいた僕の鼻の頭を直撃する。

 

 

「シンジっ!」
僕の胸元つかみ挙げて叫ぶアスカ。鼓膜が悲鳴あげてる。

「いいっ!忘れなさいっ!」
叫ぶ。痛い、耳が痛い。

 

 

 

でも僕はそれどころじゃない。

 

 

 

「聞いてるの!」
「……痛い…」

洒落になってないくらい鼻が痛い。

あ、鼻血。

 

「ちょっと!」

僕は顔をアスカに持ち上げられる。

 

 

 

 

鼻の穴から垂れる、血。

 

 

 

 

凄い抜けてるような気がする…アスカが薄着だから…

 

見えちゃうんだよ。

 

 

その…谷間が。

 

 

 

 

 

 

 

 

凄く最低な人間になったような気がする。逃げたいんだけど、顔をアスカに抑えられてるから動けない。

 

 

 

 

 

 

「何鼻血なんか流してるのよっ!」

 

理不尽だ、自分で頭をぶつけておいてそれは理不尽だ。

 

泣きたいかも。

 

 

助けて、加持さん…

 

 

って加持さん、笑ってる。

 

 

おなかを抱えて笑ってる。

 

 

 

 

 

 

なんとなく、嬉しい。

「なに笑ってるのよっ!」

あ、アスカがキれた。

「あ、いや…」
「はっきり言いなさいよっ」

言っていいのか?

少しだけ、迷ったけど、僕は言う事にした。

 

「加持さんが、笑ってたから」
「え?」

僕の胸倉をつかんだまま、加持さんの方に振り返るアスカ。

「あ…」

 

加持さんがいた事、忘れてたみたい。頬が赤く染まる。

 

 

「そろそろ急がないと乗り遅れるぞ、アスカ、シンジ君」

「「あ、はい…」」

僕とアスカは鞄から上から羽織るものをとりだして着ると、クルマから下りる。二人の衣類が入っている鞄は僕が持っている。

 

 

 

「今まで、ありがとう御座いました、加持さん」
「いや、俺も…ありがとう、アスカ」

「さよなら、加持さん…」

 

 

 

 

そして、アスカは加持の頬にキスした。

 

振り返り、空港の入り口に走っていく。

 

 

「頑張れよ、シンジ君」

ニカっと加持さんは笑う。

「はい。頑張ります」

僕も、笑う。

「ありがとう御座います、じゃ、また」

 

そして、僕も走り出す。アスカを追いかけて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃ、また――か……」

 

また会える。

気軽に交わされる言葉。

 

だけど、そんな保証はどこにもない。

 

 

 

俺に…恐らく次はない。

委員会の動きは聞いている。何をする気なのか…瑣末な事に過ぎない、そうかもしれないが…
その時、自分はどうするのか?

 

アスカには別れを告げた。

 

いままで集めてきた情報から導き出した答え。それは今はミサトの手にある。

彼女ならそこからもっと『何か』を見つけてくれる。

 

 

スパイとして、有名になりすぎた自分。最早自分の出来ることは数少ない。

 

 

 

「次が最後の仕事になる、だろうな…」

 

 

俺は近くにあった公衆電話の受話器を取る。

挿入するカードには赤い葉の印。

 

「まるで、血の色だな…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「拉致されたって副司令が?どう言う事?」
「今より2時間前です。第八管区を最後に消息を絶っております」
「うちの署内じゃない。貴方達諜報部は何やってたの…」


自室にて雑務をこなしていたミサトの前には2人の諜報部員が立っている。
「身内に内報、および先導した者が居ます。我々は完全に裏を掻かれました。」

「諜報二課を煙に撒けるやつ…まさか!」
「加持リョウジ、この事件の首謀者と目される男です。」

「で、アタシの所に来たってわけね?」
ミサトとて加持が二重スパイだったことは知っている。組織において真っ先に疑われる人物であることも。

「ご理解頂けて光栄です。こちらとしても身内、それも作戦部長を疑うとは心苦しいのですが。」
事務口調を続ける諜報部員。心苦しい、など感じさせない。喜んで嫌がらせをしている、そんな印象をミサトはうける。


「悪いけど、アタシは何も知らないわ。まあ、アタシと彼の関係を考えたら当然ではあるけれど。」
アスカとシンジの事で手一杯なのだ。加持に関わっている余裕もないし、その事について割いている時間などもっとない。

「ですが、貴女が彼に最も近い人物で或る事に疑問の余地はありません。よって、副司令発見まで貴女の身柄を拘束させていただきます」
「で、アタシは何に基づいて拘束されるのかしら?」
「いえ…任意です。」

自分と加持の、昔の関係を利用した嫌がらせか――下らない。

「だったら、司令の許可をとってきなさいっ!」

 

 

 

 

 

そして、30分後、葛城ミサト拘禁。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、ドイツまでどれくらいかかるの?」
僕は海外に行った事がない。

だから、ドイツまでどれくらいかかるのかも知らない。

座席に座ってシートベルトを装着した。エントリープラグのシートに比べたら全然楽チンなシート。

「そうねぇ、出発が8時だから、到着はお昼くらいじゃないかしら?」

アスカは搭乗した時に貰った雑誌をめくっている。

 

「へえ、結構早いんだ?」

たったの四時間かぁ…

「なにバカな事いってるのよ、ドイツと日本じゃ8時間の時差があんのよ? それを加えたら12時間よ」

 

嘲笑われた…

 

そう言えば、時差ってあるんだっけ?

あっちがお昼って事でも、その時の日本は…夜。

 

 

って…ちょっと待て。

 

「僕、飛行機に乗るの、これが初めてだった…」
「ホントに?」

アスカの驚いた表情。

「だって、修学旅行は船だったし、アスカを迎えに行ったときはヘリだったし…」
「国内だって飛行機はあるでしょう?」
「旅行、したこと、なかったから…」

 

 

あ、アスカの表情が重くなる。

 

 

「ゴ、ゴメン」
「謝っても仕方ないでしょっ 楽にしてなさいよ、楽に」

 

うん…そうしたいんだけど…やっぱり緊張するよ。

 

「皆様、この度はANA、全日空をご利用頂き…」

アナウンスが流れる。

 

 

でも何を言ってるのか解らない。だって機体が動き出したから。

滑走路までゆっくりと動いていた飛行機は、滑走路に着いて一旦停止した。

 

 

どうしたんだろ?

 

トラブル?

 

 

 

 

でもそうじゃなかった。

物凄い吸気音。甲高い音。

途中から雑じってきた、燃焼音。ジェットエンジンの音。

 

 

「わわっわわっ」

「落ち着きなさいよっ」

 

アスカは呆れてるかもしれない。

 

「わっ足元がフワってねえ、浮いた?」
「空飛ぶんだから当たり前でしょうが…お願いだから落ち着いてよ…恥かしい」

 

 

確かになんか田舎臭いかもしれないぞ? アスカの向こう側にみえる座席の人(白くて凄く背が高いけど、どこの国の人かな?)が僕を白い眼差しで見ている。

ちょっと落ち着いて、そして反省した。

アスカまでおのぼりさんに見られたかもしれない。

 

 

「ねえ、12時間も何してようか…」
「アタシは普段なら…」
「普段なら?」
「寝てるわっ♪」

だからどうして音符マークなんだよ、アスカ…

 

アスカの答えを聞いた僕ががっくりしたのを見て、アスカは喜んでいるように見える。

 

 

僕って…玩具なのかな、アスカの。

 

 

 

 

そうかもしれない…

 

 

 

 

一応、同じ霊長類ヒト科ヒト目なんだけどな…

 

 

 

む、空しい…

 

 

 

 

 

 

アスカの突っ込みがないと思って横を見ると、アスカは眠っていた。

 

 

 

早っ…

 

 

 

でも寝顔、一番記憶に残っている顔よりももっと楽しそうで、そして幸せそうに見える。

 

 

一緒に来て、良かったかもしれない。

 

 

 

 

僕はそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

其の四 おしまい。
其の五へ続く。


PostScript=あとがき

 はじめましての方、はじめまして、Patient No.324こと患者参弐四号でし。またお読みいただけた方。へっぽこな作品にお付き合い頂き、誠にありがとう御座います。
 この話では言うことはあまりありません。と言うか、現時点では言えません。後々分かってくる…響いてくる部分ですので…
#設定だけでコケルなよアタシ?

 この話で『今の時点』で重要なのは、アスカが加持に対して決別している―この点です。でもやっぱりこれが重要になってくるのも後なんだよなぁ…
 お話作りって難しい…ですよね。
 では、また次回お会い致しましょうヽ(^^ )

 

  

 

Patient No.324 拝 mail
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