煌々と光が点される放送局のスタジオで、今まさに本番の収録が為されていた。

カメラマンが覗くファインダーの向こうには、紅茶色に煌めく長い髪を持った女性が、盛んにマウスを動かし説明を続ける。

「・・・・と言う訳です。 一連の作業で皆様が作られたグラフィックをこのように展開すると、どうでしょう?」

「立体的になりましたねぇ。」

同じように操作をする進行役の女性アナウンサーが、感嘆の声を上げて出来映えに驚いてみせていた。

「はい。これがこのグラフィックの最終形になるんです。」

「うーん、素晴らしいです。 皆さんもこの方法をマスターすれば簡単に作業が出来ることがお判りになりましたね?」

そう言って、彼女はまっすぐにカメラを見て話を締めくくった。

「さて、『デジタルクリエイター入門』第8回をお送りしました。 次回は、『いよいよ実践 コンテンツ作り』です。 講師はアスカ・ラングレー先生でした。」

女性司会者はにっこり微笑み、彼女に声を掛けた。

「先生、どうも有り難うございました。」

「有り難うございました。」

BGMが流れ出し、収録は無事に終了した。

 

「カット! OKです。 お疲れさまでした。」

「お疲れさまでした!」

スタジオ内にザワザワとした声が響き、スタッフ達が什器や備品を運んでいく。

彼女も、端末の電源を落として小さく溜息を吐いた。

「先生、今日もお疲れさまでした。」

女性司会者がコーヒーを差し出して彼女に労いの言葉を掛けた。

「いいえ。 でも、どうでしょうか? 反響の方は?」

「教養番組ですからね・・・民放のバラエティー番組やドラマのような爆発的な視聴率は取れません・・・」

彼女はその答えに、多少の落胆を禁じ得ないようだ。

しかし、女性司会者は穏やかに言葉を続けた。

「この番組を視る人は、本気で勉強したいと思っている人達ばかりです。いつか先生のようになってやろうって思っている筈ですよ。」

「有り難うございます。」

彼女は立ち上がってペコリと頭を下げた。

その直後、左肘に電流が流れるような痛みが走った。

「痛たっ!!」

咄嗟に右手で左手を庇う彼女に、女性司会者は怪訝そうに声を掛けた。

「どうなさいました? 先生。」

「い、いえ・・・ちゃっと来る途中に転んでしまって・・・収録前に手当てして貰ったんです。」

「大丈夫ですか?」

「ええ・・・ったく、あの男・・・今度会ったらただじゃおかないわ・・・

彼女の顔が瞬間別人のように変化したような気がして、女性司会者は声を掛けた。

「先生?」

「えっ!? あっ! いや、何でもありません! あははははっ・・・」

彼女は大きく手を振って笑ってごまかした。

しかし、その笑顔は僅かながら引きつっていた。

 

彼女の名前はアスカ・ラングレー・・・デジタルクリエイターとして最近メキメキ頭角を顕している才媛だった。

 

 


空から零れたストーリー


The Girl who comes from sky 
B-part
生きるということ
wrote by Tomyu


 

 

「はい。 これが大学からの販売と駐車許可証よ。 シンジ君。忘れないで持っていってね。」

ミサトさんが、第三新東京大学の構内販売に関する許可証を、すんなり手に入れて来たのには正直驚いた。

基本的には大学の購買部が取り仕切る業者しか販売できないのに、新参の・・・それも何処の馬の骨ともしれない・・・・僕達に販売許可が下りるとは思っても居なかった。

そんな気持ちがミサトさんに筒抜けだったのだろうか? 彼女は不適に微笑んでウィンクして見せた。

「フフン。 あそこの学長の冬月先生と総務部の日向部長とは、ちょっちあってね! 使えるコネクションは何でも使うわよ。 この際!」

手をヒラヒラさせて、にこやかにミサトさんは笑う。 こうして見ると、ミサトさんは笑顔が似合う陽気なお姉さんだ。

「カーゴにはAランチ50食。 Bランチは10食。 そちらの保温タンクには60食分の味噌汁を入れてあるわ。 マヤ、しっかり頼むわよ。」

「はい、先輩。」

先日納入された弁当販売用の軽ワゴン車は、塗装を薄い青紫色に塗装されており、中央部には店名である『EVANGELIST』と白抜き文字で書かれていた。

僕は運転席に乗り込み、セルモーターを回した。

「初号機、発進!」

ミサトさんの声が凛として響き、僕はゆっくりと車を動かした。

「シンジ君、揺らさないように気を付けてね。 一応特別注文でショックアブゾーバーは柔らかい物にしてるけど。」

後部座席で、目にも止まらぬ早さで端末を打ち込むマヤさんが僕に優しく声を掛けてきた。

「了解です。 行きます。」

僕はハンドルを握り、第三新東京大学までの道を走った。

所要時間にして7・8分の距離だったけど、僕にはとても長く感じられた。

この弁当が本当に売れるのか・・・? 

食べた人が本当にまた次も食べたいって思ってくれるだろうか・・・?

正直言って自信がなかった。 

全く売れなかったらどうしよう・・・一口食べた後に、ゴミ箱に捨てられたらどうしよう・・・

そんな事ばかりが気になってくる。

そう・・・僕の悪い癖だ。 一度マイナス方向に考えると、その考えは加速度的に速くなり、いつも最悪の事態を想定してしまう。

『心配性だな・・・碇は・・・』 と、友達からもよく言われる。

そうかも知れない・・・いつ何が起こるか判らない環境で僕は育ってきた。 父さんも母さんも、僕が子供の頃からいつも突発的な行動で、僕を振り回してきた。

友達と遊んで帰ってくると、当然引っ越しを告げられたり・・・父さんが突然従軍画家に志願して、紛争が行われる地域に連れて行かれたり・・・

かと思えば、母さんは母さんで平和運動と地球環境保護活動を始めて、軍艦の寄港する港に抗議船を出したり・・・その為に、外国では国家保安警察のような組織の監視を絶えず受けていた。

自分の親の弁護をする訳じゃないけれど、父さんも母さんも、その活動を行うときには本当に使命感に燃えているんだ。

そう言うときは決まって、子供の僕を捕まえて、膝に座らせると諭すように僕に話す。

誰かに言いたくて堪らないときは、決まって真っ先に僕が標的となる。

『地球以外に生命の存在はない・・・だから、この地球をこれ以上汚染するような愚かしい戦や、環境破壊活動はなくさなきゃならんのだ。その為には平和が必要なのだ。』

確かに間違っては居ないと思う。

ただ、一番タチが悪いのは、二人とも『熱しやすく冷めやすい』性格だったから・・・そんな二人だったから、父さんも母さんもまるで駆け落ち同然で結婚したと聞いているし、晩酌で酒に酔ったときは、二人ともその事を自慢気に僕に話して聞かせてくれた。

もっとも・・・親戚の叔父さんにこっそり聞いたら、誰も反対なんかしてなかったと言う・・・勝手に盛り上がって、勝手にどこかへ行ってしまっただけだったらしい。

そんな能天気な両親だったから、僕は余計に心配性になってしまった。 僕が居なかったら、碇家はとっくに破綻していたと言っても良いと僕は思ってる。

だからそんな夢ばかりを追いかける人間にはなりたくないと思った。

夢を追い続けることで、どれだけ周囲の人間に迷惑を掛けているのか・・・?

名立たるものを追って・・・輝くものを追って・・・人は氷ばかり掴む。 その氷は冷たく鋭いものの筈なのに、それでも輝くものを追い求めようとする。

そして、その激情は僕の中にも渦巻いているのだろう・・・

この店を開く時、輝くものを追い求め、空ばかりを見上げる僕がいた。

そんな事じゃいけない・・・夢と現実の狭間で、人はバランスを取って生きていくもの。

だからこそ、この事業をやるからには最悪の事態も想定し、その対策も練っておかなければならない。

僕は身が引き締まる思いに包まれていた。

 

 

「こんにちは!  『EVANGELIST』です。 日向部長にお会いしたいのですが。」

 

 

マヤさんにカーゴを任せると、僕は総務部に向かった。

もちろん、総務部長に挨拶をするためだ。入る前にちょっと呼吸を整え、勢いよくドアを開いた。

「ん? 君は、一文の碇君じゃないか・・・? 学生課は此処じゃないよ。」

顔見知りの総務課長が僕の姿を見て怪訝そうに近づいてきた。

「ええ、今日は違う肩書きで参りました。 部長にご挨拶をと思いまして・・・」

僕はミサトさんから預かった名詞を課長に渡した。

定年退職も近そうな、老課長は眼鏡を上にずらし、僕が渡した名刺を見る。

「なになに・・・有限会社エヴァンゲリスト 代表取締役社長 碇シンジ・・・ ほおっ!! 凄いな! 君は学生にして社長さんか!?」

「は、はぁ・・・一応・・・」

ミサトさんを始めとして、誰一人僕を社長だとは思ってない。 先日、正式に会社を登記するときに祭り上げられた・・・それだけのことだ。

やはり、母、碇ユイの直系の子である僕が代表権を持つ方が良い・・・ミサトさんもリツコさんもそう結論づけた。

要は体の良い責任逃れのような気がしないでもないけど、二人とも影で糸を引く黒幕的存在になることを望んでいたのかもしれない。

「おっ、そうかそうか! 弁当販売の許可を出した業者さんか!? そうか、君の会社かぁ!」

何だか、余程暇だったらしい・・・茶飲み相手を捜していたようで、老課長は僕を応接室に招き入れお茶を出させた。

会社の事を色々質問された。その事に答えていると老課長はしみじみと若かりし日の事を話し始めた。

彼の昔話を聞くのはこれで何度目だろう・・・セカンドインパクトの話から始まって、今に至るまでの苦労談・・・挙げると際限がない。

「・・・私もね、若い頃には夢があったよ。 末は博士か大臣になって、世間様に認められるような男になりたいってねぇ。 まぁ、この辺りが私には妥当だったということだなぁ。」

「はぁ・・・」

延々とこの昔話が続くのかと思うとうんざりする。 2限の講義が終了する時刻が迫っている・・・もうすぐランチタイムが始まってしまう。

僕がそろそろ焦りだした頃、日向部長が応接室へ入ってきた。

「お待たせした。」

短めの髪をオールバックにし、黒縁の眼鏡を掛けたその部長は、僕の前に腰を下ろした。

「話は、葛城さんから聞いてます。 販売時間は午前11時から午後1時30分の2時間30分でお願いしますね。」

事務的に用件を伝えると、日向部長は直ぐに立ち上がろうとした。

「ああ、これ私どものご挨拶の品です・・・お納め頂けますか?」

僕は、ミサトさんから預かってきた紙袋を手渡した。しかし、日向部長はあからさまに迷惑そうな表情を浮かべて手を振った。

「いえ、お気遣いなく・・・癒着していると誤解される元となるものですから・・・」

事務的にうち切ろうとする日向部長に、僕は静かに呟いた。

「そうですか・・・残念ですね・・・葛城もくれぐれも日向部長によろしく渡して欲しいと頼まれたものなんですが・・・」

「何だって!」

出口に向かいかけていた日向部長は、脱兎のごとく引き返してきて、僕から紙袋を引ったくるように受け取った。

それからが見ものだった・・・日向部長の顔が真っ赤になり、ついで身体がプルプルと震え・・・そしてまさに喜色万辺の笑顔で飛び上がっていた。

「そ、そうですか! いやぁ! 気を遣わせてしまって申し訳ないねぇ! そうそう、施設内だったら何処で売っても構わないよ! それから、時間のことは忘れてくれ!僕が保証してあげよう。」

あれだけ喜ぶなんて・・・中にはいったい何が入っていたのだろう・・・?

僕はミサトさんに尋ねてみたが、彼女はニヤリと笑うだけで答えてはくれず、結局は判らず終いだった。

ただ、どう見てもミサトさんが日向部長を弄んでいたことは確かなようだ・・・

「誰にも、『若気の至り』ってあるものなのよ・・・特に男の人はね。」

リツコさんが、こっそり耳打ちしてくれたが、僕には何の事だかさっぱり判らなかった。

 

 

 

ともあれ、総務部の御墨付きを貰って、僕達は好きな時間に好きなだけ弁当を販売する権利を獲得した。

しかし、権利を得ただけで、売れるとは限らない。

ましてや、このキャンパスには強大なライバルが居る。

 

それは、学生食堂・・・・

 

僕もそうだけど、学生さんは金がない。 名門私学なら、良家の子女が集まり、ブランド製の財布には万単位の現金やクレジットカードがあるかも知れない。

しかし、此処は私学とはいえ、学費が安いことで知られる大学だ。

一般家庭の学生がその大半を占めていて、学校の運営資金も生徒数の多さでカバーしているような大学だ。

後はOB・OGの寄付金や、支援団体からの補助金でまかなっていると聞いている。

そんな大学だから、基本的に学生の食事も質よりも価格に左右される。 学生の大多数が10代後半から20代前半を占めているし、量は多いに越したことはない。

しかし、圧倒的に価格と言っても良いだろう。

ましてや、学生食堂は僕が在学中に大改修を加え、お洒落なカフェテリアのような内装になっているため、女子学生達も顧客層に引き入れてしまった。

味はともかくとして価格はとにかく安い。

一回で400円あれば、余程の大食らいでなければ空腹は満たされる。 そしてバリエーションが多い。

敵は強大だった。

 

僕だって何もしなかった訳じゃない。

敵にもウィークポイントがある・・・それは、常に混雑してるということだ。

食事と休憩を兼ねるので、どうしても回転率は悪くなる。 ましてや、女子学生を顧客に引き入れてしまうとその回転率の悪化には拍車が掛かる。

それを打破するにはどうするか・・・キャパシティを増やすしかない・・・つまり収容人数を増やすことになる。

ましてや、此処を利用するのは、教養課程にある1・2回生が中心になるから、2限と3限という限られた時間内に食事をすまさなければならず、いわゆる『席取り』が行われる。

2限の始まる前に学生食堂に来て荷物を置いて、いかにもその席を使っているかのように見せかける行為。

特に酷いのは、サークルや部活毎に縄張りを作ってしまい、常に数人が居て、他の学生を追い出してしまう事がある。

単純に言ってしまえば、溜まり場になってるのだ。 自動販売機で買った飲み物や菓子類を持ち込んで・・・

学生食堂側も、実はこれには頭を抱えている。 学食も、大学の依頼を受けた業者が薄利で引き受けているのだから、このような行動は営業妨害に他ならない。

再三に渡って、業者から改善要求が出され、学生課の職員が不当に占拠してる学生達を追い出すが、そんなのはイタチごっこに過ぎない。

終いには、極左思想に傾く一派がこの行動を『権力の濫用』と決めつけ抗議の立て看板を出したり、学生自治会が陳情に訪れたりと何かと忙しい。

正直言って、学生が多すぎるのも原因だと言われていて、減らそうという動きもあるが、学生は、大学が入学して良いというから入っただけで、辞めろと言われる筋合いはない。

そんな実状を、現役故に知ることが出来た僕は、戦略を立てられないものかと考えていた。

そこで有力な候補となったのが、学生食堂から離れた所にある芝生と池がある一角だった。

ここは、図書館棟と教授棟の裏にあたり、比較的静かな場所だ。 

卒業論文を書く4回生や教授などがよくここで弁当を広げる事が多く、此処でのサークルや部活の集まりは一切禁止されている。

学園祭が盛大に開かれている間も、此処だけは一般の立ち入りは禁止されている。

しかし、この一帯には食事を供給する施設はない。 従って昼食を摂るには、やはり学生食堂や学外のレストランに出向かねばならず、不便であることこの上ない。

実際、僕もこの図書館で論文を書いていたが、ランチタイムは外さなければならなかった。

ましてや、3限でゼミなどが入っていたら、結局は昼食抜きになることもあった。 

此処に出店することはかなりのリスクを背負う事になる。 だけど、上手く当たれば固定客が付くことも考えられる。

僕は、判断できあぐねてマヤさんに意見を求めた。

「そうね・・・でも、今日は初日だし・・・様子を見ましょうよ。 じゃあ、私は此処の正門前で売ってるから、シンジ君は10食分を持っていってくれる?」

確かに、人通りは正門前の方が多い。 となれば、マヤさんの意見は至極当然の判断となる。

「そうですね。そうしましょう。 一応今日は2時まで頑張ってみましょうか?」

僕の提案に、マヤさんはにっこり微笑んだ。 

可愛らしい感じの女性で此処の学生達に年齢が近いせいか、直ぐにでもファンクラブが出来そうな気がした。

僕は、簡易の販売台と弁当と味噌汁を20食分を持って、図書館の裏へと歩いていった。

『お弁当』と書かれた幟を立て、僕は店を開いた。

Aランチ17食にBランチ3食・・・Aランチは価格優先で、とにかく安くそれで居てコストパフォーマンスを最大限発揮するお弁当だった。

立案はリツコさん。 焼き鮭・コロッケ・グリルドソーセージ・厚焼き卵・キャベツ・漬け物・そしてゴマ塩をふりかけたご飯で、味噌汁が付いて300円。

これで売れない筈がない。

一方Bランチは僕が担当した。 

栄養のバランスを考え、ハンバーグには人参・ブロッコリー・ピーマン・パセリ・セロリ・ほうれん草を煮込みペースト状にしたものをまぶしていた。

それに玉ねぎとパプリカを加えたミニオムレツと、キャベツとレッドオニオンで作ったザワークラフト。そして、半分に切ったトマトの中にポテトサラダを詰めたもの。

それにAランチと同じご飯と味噌汁が付いて550円。

売れるという保証がないので、取り敢えず試しに10食だけ生産してみたものだ。

しかし、それ以前に人通りが余り無い・・・ もうすぐランチタイムの喧噪が訪れるというのに、やはりこの場所は別世界のように静まりかえっていた。

「やっぱ・・・駄目かな?」

そう思ったとき、図書館棟から数人の女子学生が出てきた。

緊張から解放されたのか談笑しながら、出てきた彼女達は、僕の姿を見かけるや怪訝そうに首を傾げた。

「あれ? 碇君?」

セミロングの黒髪をなびかせた、そばかす顔の女子学生が僕に声を掛けてきた。

「や、やぁ・・・ヒカリちゃん・・・」

同級生の洞木ヒカリだった。 彼女には色んな所で助けてもらってる。 代返も何度もしてもらってるし、試験の前にはデータディスクを渡してくれた。

「何やってるの? アルバイト?」

ヒカリちゃんは、友達数人と一緒に僕の側に近づいてきて覗き込んだ。

「いや・・・家で商売を始めたんだ・・・弁当屋なんだけど・・・ほら、此処って学食にも遠いし、購買部にも遠いだろ? よかったらどう?」

「へぇー、碇君って案外しっかりしてるんだ・・・講義とかよく休んで、鈴原君なんかと一緒にいるから、就職とかどうするんだろって、心配してたのよ。」

ヒカリちゃんは、自分の恋人である鈴原トウジの事を引き合いに出してクスクス笑った。

「へぇー、これ碇君が作ったの?」

ヒカリちゃんは、Aランチを指さして僕に尋ねてきた。

「ううん・・・僕が作ったのはこっち・・・ちょっと、高いんだよね・・・」

「そうねぇ・・・」

ヒカリちゃんはBランチを見ると、しばらく考え込んだ。

「もう100円くらい安かったら、良いんだけどね・・・ ほら、学食って400円でランチが食べられるでしょ?やっぱり高いわ・・・」

「そうか・・・」

確かに彼女の言う通りだった。 でも、販売価格をこれ以上下げると間違いなく原価割れしてしまう代物だし、僕は直ぐに値下げする事は出来なかった。

「Aランチ貰おうかな・・・今日は天気も良いし、芝生でお弁当食べたら美味しそうだもの。 みんなはどうする?」

「ヒカリがお弁当にするなら、私も・・・」

「そうね。 何だか美味しそうじゃない? これ。」

あっという間にAランチが5食売れた。 その人だかりに興味を持った学生や職員もやってきて、弁当だと判ると直ぐに買っていってくれた。

そして、昼休みが終わる頃には、Aランチは完売になっていた。

「それにしても驚いたわ・・・一番苦戦するかなって思ってた碇君が、最初に先生へ論文提出できる目処がついてるんだもん。」

ヒカリちゃんが羨ましそうに僕を見つめた。

「先生には良く飲みに付き合わされたからね。 おまけに家がこうだろ? こうして仕事しなけりゃ、やってけないし・・・温情措置って奴だよきっと・・・」

「そうね・・・うちのゼミで男の子は碇君だけだったし・・・先生もやっぱり私たち女の子には気兼ねしてたみたい・・・」

ヒカリちゃんの背後で他の女の子達が口々に同意の言葉を言って頷いている。

「でも・・・僕はある意味羨ましいよ・・・色々親身に指導してくれるんだろ? 僕なんか、色々相談を持ちかけても『良いんじゃない?』の一言だもの・・・見放されてるかもしれない。生徒としては・・・」

多分間違いないだろうと僕は思う。 正直僕は指導教授には、飲み相手としかみなされていない。

女の子にはやたら論文の展開とか教えてくれるのに、僕には酒に誘われる以外は、ろくに教えてもくれない。

『学問とは自ら探求することだよ。』

それが、酒に酔った教授が二言目には僕に言い放った言葉だった。

「碇君には細かく教える必要が無かったって事よ。 優秀なのよ。」

取って付けたようなフォローをされてしまった。 ヒカリちゃん自身も笑いを堪えているのが僕にも判った。

「はいはい。そう言う事にしときましょ・・・お互いのために・・・」

これ以上フォローされたら、救いようが無い気がしてきた。 僕は味噌汁の入ったカップを彼女たちに渡して話を締めくくった。

「うふふ。でも、頑張ってね! 売り上げには協力してあげるから。」

「はい、毎度あり。 これからもご贔屓にね!」

談笑しながら立ち去っていく彼女たちを見送って、僕は小さく溜め息を吐いた。

「・・・・やっぱり・・・価格なのかな・・・」

僕は、手元に残ったBランチに視線を落とした。

前のお店で好評だった具材ばかりを集めて投入した自信作だっただけに、落胆は禁じ得ない。

マヤさんと連絡を取ったけど、やはりBランチは売れ残っているという。

「仕方ないですね。 値段を下げましょう・・・400円に・・・」

《わかったわ・・・》

マヤさんの声が電話口から聞こえてきて、僕は溜め息を吐いた。

辺りに人影は全く居なくなった。 ただ静寂だけが僕の周りを包んでいた。

「根本的に・・・考え方を変えなきゃ、駄目なんだな・・・」

売り上げ・・・という現実が、厳しく僕の身に降り掛かってきた。

弁当はあくまでも弁当であって、家庭やレストランの温かい食事には及ばないのだろうかという疑問が沸き起こってきた。

これを食べる人はどんな風に味わって食べるのか? どれくらい時間が経ってから蓋を開くのか?

安い弁当だけど、一口食べた後に満足する顔を浮かべるお客さんの姿を思い浮かべて・・・

そんな事を考えていた僕は、ただのおめでたい人間だったのかも知れない。

僕は店を片づけ始めた。 売れなかった・・・その事実は事実として僕の中にしまい込んでおこうと思った。

甘い考えを持っていた自分自身への戒めとして・・・決して忘れないように・・・

 

 

その時・・・

「すみません! 弁当頂けますか?」

店じまいしている耳元で突然透き通るような声が飛び込んできた。

「わっ!!」

予期せず突然声をかけられたので、僕は心底驚いた。

振り向いた先には、紅茶色の長い髪を陽の光に煌めかせた一人の女性が多少息を弾ませ、笑みを浮かべて立っていた。

雪のように白い肌と、透き通るような瑠璃色の瞳・・・まるで、どこかのグラビアから飛び脱してきたアイドルのような輝く笑顔に僕は息を飲んだ。

でも・・・

この人はどこかで見た事がある・・・それもつい最近。

僕の記憶が意識の海の中を漂っている。 静かだった海面が大きく沸き立ち、とある部分で大きく盛り上がった。

まるで大きな岩にぶつかるように、大きく・・・高く・・・

「えっ・・・・と・・・・?」

僕は瞬間、仕事のことを忘れていた。 まだまだプロとして未熟だと今にして思う。

結局僕より早く反応したのは、彼女だった。 

僕を指差し声を張り上げた。

「あーーーーっ!! あんた今朝のトーヘンボクッ!!」

素っ頓狂な声をあげて、彼女は僕を睨み付けた。

「えっ、あっ・・・あっ・・・、そ、その節は・・・どうも・・・」

何とも間抜けな返答しかできなかった自分を今でも悔いている・・・この一言が今でも僕を苦しめているのだから・・・

清楚な感じだった彼女が、途端に態度を一変させ僕に詰め寄ってきた。

「こちらこそ・・・って、違うわよっ!!」

僕の間抜けな対応に一瞬つられた彼女は、更にいきり立ち、七分袖のシャツの左の袖を捲り上げて、包帯が巻かれた肘を突き出して見せた。

「アンタのせいで、こんなになっちゃったわっ!! どーしてくれんのよっ!?」

細い腕には、痛々しい程包帯が巻かれている。

「本当に・・・ごめんなさい・・・何とお詫びしたらいいか・・・」

突然飛び出したのは僕の方だ。 彼女はよける暇もなくぶつかってしまった。

お詫びをしようと思っていたけど、名前も連絡先も聞く前に風のように去っていってしまったので、明日の同じ時間に待っていようと思っていた。

しかし、その前に再び彼女に出会うとは全く考えもしなかった。

僕は深々と頭を下げるしかなかった。

「本当にすみませんでした。」

「本当に悪いと思ってるの?」

彼女は、僕の顔を下から覗き込んだ。 

「はい・・・」

自業自得だ・・・責められるのは致し方ない。 どんな非難でも甘んじて受けよう・・・

そう思った瞬間・・・

 

 

ぐぅぅぅぅぅぅ〜・・・・ぎゅるるるぅぅぅぅぅぅ・・・・

 

 

静寂の中を静かに、誰かのお腹の虫が鳴きわめく声が聞こえてきた。

びっくりして顔を上げると、顔を真っ赤にした彼女がお腹を押さえて俯いていた。

「あのう・・・ひょとして・・・?」

彼女は何も答えず、ただ身体をプルプルと小刻みに震えさせていた。

僕は何の迷いもなく、彼女に売れ残っていたBランチを手渡し、震える手に握らせた。

「お詫びにもなりませんけど、よかったら、召し上がってください。 今お味噌汁出しますから・・・」

しかし、言い終わるよりも早く、彼女は逃げるように僕の前から走り去っていた。

「あ、あのっ!?・・・」

遠ざかる紅茶色の髪。

僕は慌てて声をかけたが、彼女は振り返ることもなく、建物の中に消えていった。

その場に残された僕は、呆然と走り去る彼女の後姿を見送った。

 

 

「な・・・何なんだ・・・いったい・・・」

 

 

それが、僕と彼女の二度目の出会いだった。

 

 

 

 

 

 

TO BE CONTINUED...

Produced on Nov.12th '01