「ふむ・・・」
その男は、彼女が提出した論文をつまらなそうに机の上に放り出した。
「惣流君・・・」
椅子の上に座ってしばらく窓の外を眺めると、彼は傍らに佇む紅茶色の長い髪を持つ女性に、冷ややかな視線を向けた。
「君は・・・卒業する気があるのかね?」
その問い掛けは、彼女の心を鋭く貫いた。
飛び級で16歳にして、この大学に入った彼女にしてみれば、本来なら既にドクターコースに入っていても何ら不思議はない筈だった。
しかし、現実は4回生になってから、彼女はまったく大学に顔を出さなくなり、5回生・・・6回生となってしまっていた。
「このレポート・・・殆ど引用ばっかりじゃないか・・・これじゃ、盗作と同じだ。 単位はやれんね。」
その事は、彼女もよく判っていた。 しかし、彼女にもそうせざるを得ない事情もあった。
「しかし・・・考えてる事は一緒ですし・・・これ以上の表現方法を思いつかないんです。」
彼女の返答に、男は呆れたように眉をつり上げた。
「だいたい、この一・九分けの先生からして盗作してるんだぞ・・・その上、この男にはオリジナリティが何一つない。 こんなモノでこの大学を卒業しようだなんて・・・馬鹿にするにも程がある。」
男は彼女が入学したときから、指導教授を務めている。
3回生までは、飛び級しただけの類い希な観察力と洞察力で、10年に一人の逸材とまで言われていたが、ここ数年の彼女の凋落にある種の憤りを感じていた。
「あの頃の君は何処へ行ってしまったんだろうね・・・?」
教授は静かに呟くと、論文を彼女に突き返した。
「今後、私の卒論ゼミへの欠席が続くようなら、退学する事を勧める・・・4年生になってはや2年・・・君自身の時間とお金を無駄使いする必要はないと思うが・・・」
それは最後通牒だった。
しかしそれは、退学処分となる前に自ら進退を決めて欲しいという、教授の最後の彼女への思いやりだったのかもしれない。
デジタルクリエイターとして最近メキメキ頭角を顕している彼女は、第三新東京大学の学生としては後が無かった。
彼女の名前は惣流アスカ・・・多忙なスケジュールの中で仕事と学業の両方を、どうにか折り合いを付けてやっていた彼女に、現実は厳しい選択を迫っていた。
空から零れたストーリー
The Girl who comes from sky
C-part 理想と現実の狭間で
wrote by Tomyu
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・」
僕は、店に帰るとそのまま机の上に突っ伏した。
「お疲れさま。 シンジ君。」
机の上に、コーヒーを置いてくれたリツコさんは穏やかな笑みを浮かべて僕を見つめた。
「・・・あっ・・・どうも有り難うございます。」
差し出されたコーヒーを口にする。 少々熱かったが、その温もりが自分の体内へと流れ込んでいくのが判って、何とも心地よい。
しかし、その温もりがある故に、僕の心は少しも晴れなかった。
「Bランチ・・・だめでした・・・」
僕は小さく、自分に突きつけられた結果を言葉に載せていた。 敗北を確認するために・・・
「そう・・・」
リツコさんはそう答えただけで、それ以上何も言わなかった。
下手な慰めの言葉を掛けてくれるよりも、静かにさせてくれる方が有り難い・・・リツコさんにはそれが解っていたのかもしれない。
「価格をもう少し下げないと、売り物にならないですね・・・」
マヤさんが整理してくれた販売状況を見て、僕は今後の方針について改めて考え直させられた。
「販売する客層を間違えていただけよ・・・シンジ君はやっぱりユイ先生の子供よ・・・繊細な感覚と神経を持ってる・・・あなたがその気になれば、三ツ星レストランのシェフになる事だって夢じゃない・・・私はそう思う。」
ぽつりと呟くリツコさんの言葉に、僕は頭をかいていた。 それは過大評価というものだと思う。
「買い被りすぎですよ・・・」
僕は話を打ち切って椅子から立ち上がった。 明日はAランチのみの販売となるだろう・・・僕は何をすべきか考え込んでしまった。
リツコさんは明日も驚異の処理速度でAランチを大増産してくれるだろう。 しかし、僕には販売するときまで出番はない。
Bランチを製造する必要がなくなったからには、主力となるAランチ作りには協力しようと思うが、リツコさんの足手まといにならないか自信がなかった。
その時、ミサトさんが嬉しそうな声を張り上げ、意気揚々と店の中に入ってきた。
「ただいまぁ〜っと! 今日はちょーーーーち、良い話GETしてきたわよ。」
ニコニコと笑うミサトさん。 その笑顔は、販売で疲れた僕達を元気づけるような、そんな力がある。
「例の話かしら・・・?」
「ご明察! さすがはリツコね。」
ミサトさんは、一冊のパンフレットを机の上に置いて両腕を組んだ。
「懸案だった販路の拡大だけど、今度ようやく大口の納品先を獲得したわ。 それが此処『コミュニケーション・ヴィレッジ セフィロト』よ。」
僕はパンフレットを取り、マヤさんと覗き込んだ。
「ここは複合型福祉施設で、介護老人福祉施設と身体障害者療養施設とかが併設されてるわ。此処は毎日専門の栄養士が調理を行ってるけど、月に一度行われる『園遊会』と称されるお年寄り達の散歩に仕出される弁当は、外部の業者に発注しているの。」
「お年寄りに適した食事・・・ですか?」
「ええ、そう言うことになるわね。 食材は柔らかく、かつ見ごたえのある料理・・・で、冷めていても美味しく食べられるお弁当よ。」
なるほど・・・結構難しい課題だなと思った。
「それで・・・引き受けてきたんですか?」
僕の質問に、ミサトさんはにっこりと微笑んだ。
「勿論よ。 無論、一度実物を用意して、理事長に試食して頂いてからだけど・・・こっちにはシンジ君が居るからね・・・問題はないでしょう。」
彼女の回答は、僕が予期していたことだった。 ミサトさんの性格からして、先ず行動あるのみ・・・体裁は後で整えればいいと考えると思ったからだ。
その予想通りの回答に、僕はやっぱり頭を抱えた。 ましてや、今回、僕の作った弁当は一つしか売れなかったのだから、自信なんてない。
その一つにしても、怪我をさせたお詫びに差しあげたに過ぎないし、代金は僕が払ったことになってるので本当は売れた訳じゃない。
僕は、その時ふと、閉店間際に声を掛けてきた女性の事を思い出した。 その女性は、今朝いきなり自転車で体当たりしてきた彼女だった。
あの娘はちゃんと食べてくれただろうか? そんな事を考えるとますます不安になってきた。
凄くお腹を空かせていたから、多分食べているだろうと僕は信じた・・・いや、信じたかった。
「シンジ君!」
ミサトさんの声に、僕の意識は現実に引き戻された。
「は、はい! 何でしょうか?」
「今の話聞いてた? 何だか上の空だったわよ。」
「す、すみません。 ちょっとボーッとしてしまって・・・」
「ったく・・・仕方ないわね。 もう一度言うわよ。」
ミサトさんは苦笑しながら、カレンダーを指差した。
「今度の土曜日に先方の理事長とアポイントを取ってきてるから、それまでにメニューを考えて頂戴。 作戦部として正式に要請するわ。」
その言葉に、僕は思わず声をあげた。
「ちょ、ちょっと! 土曜日って・・・明後日じゃないですか!?」
自分でも声が裏返っているのが判る。 それでもミサトさんは平然と僕を見据えて言葉を放っていった。
「そうよ、よろしくねん♪」
お・・・鬼・・・!!
僕はその言葉が喉元まで出かかった。
翌日・・・僕は、マヤさんと一緒に弁当を販売していた。
仕事を終え、上の自分の家に戻った僕は、卒論の修正事項に取りかかった。
返却された原稿には教授の達筆な文字で、質問事項が箇条書きされていて、その質問を本項で述べた上で次項へ進めと指示が書き加えられていた。
正直言って、仕事と学業の両立は辛い。 身体も頭も疲れている事がよく判る。
表題は、『地政学的見地から見た民族考察』。
つまりは政治的視点で地理学を見直して、そこに住む人の行動原理を論理的に導き出そうと言うのが目的だった。
でも、このアプローチの仕方は恣意的に流れやすく、イデオロギーのバイアスがかからない「学問としての地政学」としては立証が難しい。
それでも何故僕がこれをテーマに選んだのかというと、何故人は争うのだろうと単純に思ったからだ。
それが、地理的要因に至るなら社会を構成するルールや規範・宗教は、その土地の環境に根ざすかもしれないということだった。
人はよりよい生活を求めて移動する。 そこで他者との衝突が起こり、紛争が勃発する。
だから僕は、その事を纏めようとしたのだが、それぞれの研究者の見解は、イデオロギーに左右されていて客観的な判断が出来ない事に気が付いてきた。
そうなってくると収集が付かなくなる。
どうにか整合性を付けようにも言ってることがまちまちであり、僕はとうとう『地政学から、民族意識を導き出すことは出来ない』という結論を纏めて提出した。
「よく纏めてあるね。 マッキンダーやハウスホーファーの理論は、解釈が分かれるところだけど、様々に弁証して判らないという結論に至るのならそれで良いんじゃないかな。」
読み終えて、可笑しそうに笑う指導教授を見て、僕はなんだか複雑な気分だった。
何ともお粗末な論文であるが、弁証した課程を評価してくれたのか、教授はすんなりと受け取ってくれた。
だけれど、色々相談を持ちかけたのに、教授は殆ど何も教えてくれなかったし、アドバイスもしてくれなかった。
結局は何から何まで自分一人でやらざるを得ず、ゼミが開かれていても、僕だけは何となく蚊帳の外のような気がしていた。
「後は、学生課への期日と書式に則って清書して提出しなさい。 それで君は卒業だ。」
「・・・有り難うございます。」
それでもゼミには真面目に出席してただけに、僕は一つ肩の荷を下ろしたような気がする。もう論文なんて作りたくない・・・それが正直な気持ちだった。
そんな事が午前中にあったため、僕は昨夜から殆ど寝てなかった。 そして、仕事に復帰したけれど、今日もやはり図書館の裏は静寂そのものだった。
昼の休憩時間もとっくに過ぎ、時間は午後2時になろうとしている。
リツコさんの作ったAランチは今日も好評で、昨日用意した17個を上回る25個を用意していたのだが、それももう残り2つとなっていた。
「ふわぁぁぁぁぁ・・・」
押し寄せる睡魔と戦い、僕は大きく伸びをした。
「何か暇そうね! 大っきなあくびなんかしちゃってさぁ!」
僕の背後から聞き覚えのある声が飛び込んできた。 その声の主は・・・?
慌てて振り返ると、やっぱり昨日の彼女がいた。
昨日と同じように、多少息を弾ませて・・・
何をそんなに彼女は急いでいるんだろうか?
無言で穏やかな笑みを浮かべていれば、深窓の令嬢のようにも見える美しさを持っているのに、彼女はまるで回遊魚のように動き回っているように見えた。
「あっ、いや・・・そんな訳じゃないんですけどね・・・ちょっと徹夜しちゃったもので・・・すみません。」
「なぁーに、忙しぶってんのよ! アタシなんかこの3日寝てないんだからね! 威張ってんじゃないわよっ! このトーヘンボクッ!」
彼女は見るからに不機嫌そうに、僕の顔を見つめた。
「そんな・・・ちゃんと寝なきゃ駄目ですよ。 身体が保ちませんよ!?」
僕は差し出がましいとは思いながらも、彼女に意見を言ってみた。
「大きなお世話よ! そんな事より、はやく弁当売りなさいよっ! トロくさいわね!」
僕の目から見ても睡眠不足でイライラしてる事が判る・・・僕は素早く弁当を袋に包もうとした。
「あれっ? 昨日のBランチって奴ないの?」
彼女は、端正な顔立ちに眉を寄せて不快そうに僕を睨んだ。
「ごめんなさい。今日は・・・」
「何よ・・・売れ切れなのっ!?・・・仕方ないわねっ!!」
彼女はバックから財布にを取り出して、声を荒げた。
「ったく・・・今日は何て日なのよ!? ああ、もう!こんな時に、小銭がない!」
カンカンに怒っている彼女に僕はどう声を掛けて良いか判らなかった。
下手な気休めを言うとますますエスカレートしそうだったから・・・
「ああ、もう時間がないわっ! これで良いでしょ!」
突然彼女は叫ぶように声を上げると、僕の胸ポケットに千円札をねじ込んだ。
「えっ・・・?」
僕が声を掛けようとするより早く、彼女はまるで脱兎のように掛けだしていった。
紅茶色の長い髪を大きく揺らしながら・・・その姿は本当に生き急いでいるようにも見えた。
「・・・・おつり・・・・」
僕は今日も彼女の姿を呆然と見送るより他になかった。
「ご苦労様! シンジ君。」
ワゴンの後部ハッチを閉め、店じまいをしているマヤさんが戻ってきた僕の姿を見つけて労いの言葉を掛けてくれた。
「マヤさんもお疲れさまでした。」
「どう?売れた?」
「ええ、完売です。 いい調子になってきましたね。 明日はもう20食程度追加しましょうか。」
僕はすっかり軽くなった荷物を見せて、笑って答えた。 やはり全部売れるというのは凄いことなのだと思う。
でも・・・
《何よ・・・売れ切れなのっ!?・・・仕方ないわねっ!!》
先ほどの彼女が去り際に残した言葉が、僕の耳にこびりついて離れなかった。
「どうしたの? 浮かない顔して・・・?」
「あっ、いや・・・何でもないです。 ちょっと立ちっぱなしで疲れただけです。」
「そう。 じゃあ、戻りましょうか。 私が運転してあげるわ。」
マヤさんはにっこりと微笑んで、僕から荷物と売上金を受け取った。
その時、聞き覚えのある声が、僕の背後から届いた。
「碇君。」
「あれ? ヒカリちゃん・・・」
振り返った僕の前には、軽く手を振るヒカリちゃんがいた。
「お仕事終わった?」
「うん・・・これから店に戻る所なんだ。」
「そうなんだ・・・」
ヒカリちゃんは暫く思案するかのように、空を見上げ視線を彷徨わせていた。
「どうかしたの?」
「う・・・うん・・・ちょっと、碇君と話したい事があって・・・」
ヒカリちゃんはちょっと、躊躇うように用件を切り出した。 しかし、僕もこれから店に帰って、しなければならない事がある。
だいいち、マヤさんに悪い・・・そんな気持ちが先行して、僕は返事に困ってしまった。
「良いわよ、シンジ君。 私先に戻ってるからゆっくりしてらっしゃい。」
マヤさんは、意味深長な笑みを浮かべて車に乗り込んだ。 どうやら完全に誤解してるらしい。
その晩、飲みに誘われ、ミサトさん以下3人のお姉さま方に追及の手が及ぶことになるのだけど、それは余談。
走り去っていくワゴン車を見送って、僕はヒカリちゃんへ振り返った。
「そんな訳だから・・・喫茶店でも行こうか?」
「何か・・・ごめんね。 凄く碇君に迷惑掛けちゃったような気がしてきた・・・」
俯いて申し訳なさそうな顔をするヒカリちゃんだった。 時既に遅いような気はするけど、今更言っても仕方がない。
「いいよ、行こう。」
僕とヒカリちゃんは、学校から少し離れたコーヒーショップに入った。
明るい照明が照らし出す店内は全て木で出来ていて、壁際には背の低い本棚がしつらえられている。
此処に来る客は、静かに流れるクラシック音楽と、店のマスターが淹れるコーヒーを堪能しに来ている。
そして、その本棚には、山岳風景の写真集やブナの森の絵画などが数多く並べられていた。
「へぇ、良い感じのお店ね。」
ヒカリちゃんは、珍しそうに店内を見回した。
「それで・・・話って?」
注文を取りに来たマスターに、モカのホットを2つ頼んだ僕は、彼女に話を促した。
「うん・・・そうだったわね。 碇君は惣流さんを知ってる?」
ヒカリちゃんはちょっと声を落として、僕の方へ顔を近づけた。
「惣流・・・さん・・・?・・・惣流って、あの惣流さん?」
名前は聞いたことがある。 16歳で、この大学に飛び級入学したけれど、どういう訳か、4年生になって2年連続で留年してるという人だ。
僕が入学したときは、3年生で、ミス・キャンパスにノミネートされていた。 しかし、彼女はミスコンを辞退し、4年生になった途端、学校にも顔を出さなくなったという。
天才の呼び声が高かっただけに、彼女の突然の行動には、教授会も騒然となったと聞く・・・
「うん。 そう。」
運ばれてきたコーヒーの香気が鼻腔をくすぐる。
ヒカリちゃんは、コーヒーを一口飲んでから、話を続けた。
「その、惣流さんがどうかしたの?」
「うん・・・最近ゼミに来るようになったの・・・」
ヒカリちゃんは静かにそう切り出した。 その表情には何やら意外そうな色がありありと浮かんでいた。
「そう・・・今迄来なかった人が、出てくるようになったって事は良い事じゃない。 それで・・・?」
僕は彼女が何を言いたいのかさっぱり判らなかった。
確かに僕はお粗末ながらも論文を提出し終わって、自発的にゼミに出る必要はない。
それ以上に、仕事のウェイトが高くなってきてるのは事実だから、弁当を販売するようになってからは出席していない。
「それはそれで良い事なんだけど・・・どうも引っ掛かるのよ・・・どういう風の吹き回しなんだろうって・・・だって、私ずっと彼女にゼミに出るようにメールとか送ってたのに、全然無視してたのよ?」
卒業が近くなって急に出てくると言う事が、余りにもご都合主義的で彼女の癇に障ったのだろう。
しかし、それぞれ事情がある筈なのだから、あからさまに嫌悪感を示さなくても良いんじゃないかと僕は思った。
「はぁ・・・」
僕はそう答えるしかなかった。 何でそれを僕に言わなきゃならないんだろう・・・?
「だってみんな必死になって、前期に『ああでもないこうでもない』ってやって来て、それぞれ卒論テーマ決めたのよ。 なんか、いきなり来られても私達どうしていいか判らないわよ。」
確かに、僕達のゼミには男は僕一人しかいなかった。 女の園のような感じがするが、何とも居心地が悪かったのは事実。
女性の集団に見られる現象・・・上手く言葉が見つからないけど、陰湿な感じ・・・が、見え隠れする。
表立って批判しない代わりに影で噂話を掻き立てるような、そんな感じがする。
僕が居る時はある意味中和剤になっていたのかもしれないけど、僕が顔を出さなくなった途端こうなってしまう。
「でも、来るなって言う権利はないだろ? その人が協力を求めてきたら手伝ってあげたら?」
僕は、正論しか言えなかった。 この場合は下手に同調するのではなく、正論をぶつけた方が頭に血が上ってる人には効果があると思ったから・・・
「う・・・うん・・・ごめんね碇君・・・みんなが全部私に押し付けるものだから、ちょっとイライラが溜まってたの・・・鈴原君にこの前こぼしたら、何だか不機嫌になっちゃうし・・・」
そりゃあ、そうだろう・・・ 折角のデートで知らない人の事の愚痴をこぼされたら、嫌になるに決まってる。
僕はトウジが可哀想になってきた。 そして、全ての事を背負い込んだヒカリちゃんも・・・ある意味被害者なのかもしれない。
「まぁ、いよいよダメだと思ったら、声掛けてよ。 時間を都合して顔出すから。」
「うん。ありがと・・・ごめんね。変な愚痴に付き合わせちゃって・・・」
ヒカリちゃんは申し訳なさそうに頭を下げた。 彼女もかなりストレスが溜まっていたんだと実感した。
「いいよ。 色々世話になったし・・・じゃあ、僕店に帰るね。」
僕はヒカリちゃんと別れて、店へと向かった。
マヤさんは、先に店へ戻ってるから今日は歩いていくしかない。
テクテクとなんとも間抜けな足音を立てながら、僕は物思いに耽った。
あの面倒見の良いヒカリちゃんを困らせるような人のことを考えていた。
確か、惣流さんって言ったっけ・・・どんな人なんだろう?
僕は、見たことのないその彼女を自分の頭の中で想像してみた。 僕が高校生の時にはもう、この大学に籍を置いていたのだから、決して頭の悪い人じゃないと思う。
それに、3年生の時ミス・キャンパスにノミネートされるくらいだから、きっと綺麗な人に違いない。
でも・・・どうして急にこんなになってしまったのだろう?
何か訳ありなんだと思いはするが、何せ全く面識のない人だし、これからも関わり合いになることなんて、普通に考えればあり得ない。
それに今の僕は、これからの事を考えるので精一杯だ。
《何よ・・・売れ切れなのっ!?・・・仕方ないわねっ!!》
閉店間際に息せき切って駆け込んできた、あの女の人の言うことが、再び僕の頭の中を過ぎる。
あの時見た彼女の不機嫌そうな顔・・・それは期待してた物が手に入らなかった時に見せる表情とよく似ている。
ということは、少なくともあの人は、僕が作った弁当を楽しみにしてたのかもしれない。
「何自惚れてるんだ・・・?」
僕は吐き捨てるように呟き、頭を振った。 ストレスが堪ってるのはヒカリちゃんだけじゃないようだ。
でも・・・もしかしたら・・・?
僕の脳裏に、再びあの紅茶色の髪を持った彼女の顔が浮かんでくる。
「もう少し・・・価格を下げられないだろうか? 製造原価を切り詰めて・・・」
僕は知らず知らずの内に、新たなメニューの事を考えていた。 それもプロジェクトの弁当ではなく、デイリーで販売するBランチの事を・・・
「そっか・・・やりたいんだ・・・・・・作ってみたいんだ・・・・」
僕はようやく自分自身のモチベーションを得ることが出来た。 自分自身のやる気を起こさせるには、何かに挑戦し続けていく事なんだ。
「だとすれば・・・仕入れを直接農場に依頼すれば、あるいは出来るかも知れない・・・よし、ミサトさんに動いて貰うか・・・」
僕の頭の中は、もう弁当のことで一杯になっていた。おまけに、例のプロジェクトのメニューを考えなければならない。
やるべき事は山ほどあった。
僕は彼女・・・惣流さん・・・の事を頭の隅に追いやった。
Produced on Nov.16th '01