第三新東京市随一の味に定評がある仕出し弁当屋 『EVANGELIST』の前では、今日も多くの人だかりが出来ていた。

ニュースを見て、話題になった店主と美人女性店員の姿を一目見ようと、開店前からごった返していた。

中でも一番熱心だったのは、マスメディアだった。

常に新鮮な話題を追い求め、視聴率や販売部数の向上だけしか考えていない彼等は、この降って沸いたような二人の男女の物語・・・それも心温まるような美談・・・を必要以上に大きく膨らませ、報道しようとしていた。

報道合戦も此処までエスカレートすると最早暴力以外の何者でもなかった。

ある者は、病院内に患者を装って潜入し、病院内で強力な電磁波を発生させる通信機器を無造作に作動させようとした。

またある者は、二人の関係者宅に深夜早朝を問わず押し掛け、取材をさせるように強要した。

そして、余りにも行き過ぎた報道がとあるゴシップ誌に掲載された。

強盗傷害「やらせ」事件報道だった。

それは、店主が知名度アップを狙って、容疑者に金銭を授与し店を襲撃させたという内容のものだった。

その内容があまりにもセンセーショナルなものだったので、店には今まで以上に激しい報道合戦が行われ、関係のない芸能レポーターまでも取材を始めるありさまに陥った。

その報道は、店主の父である画家、碇ゲンドウと妻で料理研究家である碇ユイにも少なからざる影響を与える結果となった上に、もう一人の当事者である女性の母の元にも無神経な取材陣が押し掛けていた。

LIVEと表示された画面には、リハビリのために散歩に出ていた一人の女性を取り囲むように、無数のマイクや質問が降り注いでいた。

驚愕する女性の顔にはモザイクとボイスチェンジャーが加えられ、取って付けたように《プライバシー保護の為、映像と音声は変えています》と表示されていた。

 

そのニュースをTVで見ていた一人の若者は、烈火の如く怒りを顕わにして立ち上がった。

「いい加減にしろっ!!」

碇シンジ・・・彼は、惣流キョウコにマイクを押しつけるレポーターやカメラマンを見て、取り憑かれたかのように病院を飛び出した。

しかし、彼の身体は、完全には完治していなかった。

 

 


空から零れたストーリー


The Girl who comes from sky 
H-part
 愛するということ
wrote by Tomyu


 

 

「碇さんっ! 何処へ行くんです!」

僕を押しとどめようとする看護婦を振りきって、僕は玄関へと歩いた。

何としても、取材を止めさせなければならない・・・その思いで一杯だった。

「あの馬鹿げた取材を止めさせるんです。 止めないでください。」

僕は客待ちをしているタクシーに乗り込むつもりで居た。 現場に乗り込み、馬鹿騒ぎを止めさせたかった。

もう既に話が一人歩きしている今、僕が収拾に出なければ、キョウコさんや父さん・母さんたちに多くの迷惑が掛かる。

しかし、病院にも多くのマスコミの人間が居たことを僕は失念していた。

途端に多くの取材陣が我先にと集まってきて、揉みくちゃにされてしまった。 

 

「店長さんですよね? 今の感想を一言!」

「女性店員さんとは、どんな関係なんですか!?」

「犯人がナイフを持って居た訳ですが、怖くはありませんでしたか!?」

「あの事件はでっち上げだと、一部報道がありますが、それについてどう思われますか!?」

「やっぱ、やらせなんだろ!?」

「世間に対して恥ずかしいとは思わないのか!?」

 

口々に言いたい放題の取材者達は、僕の体を捕まえ、マイクを押しつけてカメラを向けてフラッシュの雨を浴びせた。

逃げるつもりは毛頭なかった。 ただ、余りにも無神経な取材方法を止めさせたかった。

「離してくださいっ!! あの人は関係ないっ! なんで、半身不随の障害者に無神経な事をするんだ!」

僕は力の限り叫んだ。 

「あんたが取材に応じないからだろっ!」

「我々には知る権利があるっ! それは言論と報道の自由によって保証されてることだ!」

何が『知る権利』だ!・・・個人の人格と尊厳を踏みにじって置いて、よくもヌケヌケとそんな事を言い放つ事が出来るのか!?

僕の心の奥底に眠る8年前の忌まわしい出来事が、まるで亡霊のように蘇ってきた。 

伝聞だけであたかもその場に居合わせたかのように、おもしろ半分で架空の話を作り上げ、噂にする級友達・・・

その目の光は、今此処に居る彼等とまったく同じものだった。 

時が経てば嫌なことも、いい思い出になるとは誰が言ったのだろう・・・僕はそんな格言など信じてはいなかった。

そう・・・僕は彼奴等を絶対許さない。 復讐するつもりも恨むつもりもない・・・ただ許さないだけ。

だから視界に入らないで欲しい・・・その気持ちは今でも変わらないし、将来まで持ち続けていくだろう。

今、目の前に群がる彼等は、そんな彼奴等と何が違うのか? 

彼等の羞恥心はいったい何処にある? 

もしも許されるのなら、僕は彼等を全て薙ぎ払いたい気持ちに駆られていた。

そう思った瞬間、とある有名芸能レポーターが、人混みを書き分けて突進してきた。

その顔はTVで何度も見たことがある。 実際に見ると傲岸不遜を絵に描いたような態度をしていた。

その男が僕の前に詰め寄って声を荒げた・・・彼特有の取材スタイルだと記憶している。

「本当のことを話しなさい! 我々はあんたの話を聞くために何日もこうして待機してるんだ。 さぁ、カメラの前で全てを言いなさい。」

力任せに押し出されたマイクと急に向けられたカメラは、僕の体を激しく突き飛ばした。

その瞬間・・・松葉杖を突いていた僕は、バランスを崩してしまった。

片足が思うように動かない僕は、踏ん張ることが出来ず、そのまま病院の壁にぶつかった。

「きゃああああああああっ!!」

女性レポーターの悲鳴が聞こえた・・・

どうやら、縫い合わせた傷口が再び開いたらしい・・・僕の目からも、鮮血が飛び散るのが見えた。

三角巾も包帯も既に解けて無くなっていた・・・ ざっくりと割れたどす黒い傷口・・・それは、ナイフで切られた傷・・・そこから再び鮮血が吹き出していた。

「これで満足ですか・・・・?」

僕は取り囲む人達を見回した。

ある者はひたすらカメラを回し続け・・・ある者は目を背け・・・ある者は呆然と・・・僕の姿を見下ろしていた。

「どうなんです!?」

血の気が引いていくのが判る・・・だけど、もうこれ以上、僕のせいで誰かに迷惑が掛かるのを見過ごす事は出来なかった。

「答えろよっ!! あんた達これで満足なんだろっ!? これが事実だよっ! さぁ、書け・・・書いて見ろよ・・・あんた達が望んだ事実を・・・」

僕は真正面にいる、件のレポーターに、遠ざかる意識の中で罵倒した。

「これでも・・・やらせだと・・・言いたい訳・・・・おっさん・・・・・・」

騒然とする周囲の怒号を遠くで聞きながら、僕の意識は途絶えた。

 

 

 

 

 

温かい手の感触があった・・・

それは僕を包み込むような大きな手の感触だった・・・

今は冬だというのに、まるでうららかな春の日のような心地よい温もりがあった。

「・・・・・・・・・・!?・・・・・・・・・・・・」

白く差し込む光の中で、ぼんやりとした人影が映っていた。

「誰・・・・?」

「シンジ・・・・」

僕を呼びかける声がした。

それは聞き覚えのある声だった。

「母さん・・・?」

だんだん目の焦点が合ってくる・・・それは紛れもなく母さんだった。

「意識が戻ったようだな。 これで問題はない。」

母さんの背後には、父さんが静かに立っていた。

「父さん・・・」

「まる3日、眠っていたのよ・・・知らせを聞いて直ぐに駆けつけたの・・・気分はどう?」

母さんは、僕を抱きしめ何度も頭を撫でた。 嬉しい・・・でも、傷口が痛いし、恥ずかしい。

「か、母さん・・・やめてよ! 痛い!」

「心配かけた罰よ・・・我慢なさい。」

必死でもがく僕を捕まえて、母さんは腕を放そうとしなかった。

その時、病室のドアが開いて、車椅子に乗った人影が入ってきた。 母さんはゆっくりと僕から腕を放して、入ってきた人に僕を見せた。

紅茶色の長い髪・・・青く煌めく瑠璃色の瞳・・・

「アスカ・・・」

僕は思わず声を出してしまった。 僕が回復を願った女性が今、こうして此処にいる。

しっかりと意識を持って此処にいる・・・僕は嬉しかった。 

しかし、アスカは表情を変える事なく、自分の手で車椅子を動かして僕の傍までやって来た。

「シンジ・・・」

僕はその時初めて、アスカの様子がおかしい事に気が付いた。

瑠璃色の瞳はまるで、深い海溝のような闇を持ち、心の動きを覆い隠すように暗かった。

「おじさま・・・おばさま・・・ごめんなさい・・・」

アスカの声が静かに響いた瞬間・・・

 

 

パシーーーン!!

 

 

アスカの平手打ちが僕の頬を強かに叩いた。

「これはおじさまの分!!」

 

 

パシーーーーン!!

 

 

「これはおばさまの分!!」

反対側の頬を再びアスカの平手打ちが襲った。

 

 

「アスカ!?」

直後にアスカの怒鳴り声が響き渡った。

「自分の命を何だと思ってるのよっ! このトーヘンボクッ!!」

今まで見たこともないような、凄まじいアスカの怒った姿だった。

「あんたの無茶のせいで、どれだけの人が心配したと思ってるのよ!? 急を聞いて駆けつけたおじさまが輸血してくれなかったら、あんた死んでたのよ!判ってんの!? この馬鹿ッ!」

僕の目の前には、大粒の涙を浮かべたアスカが居た。

僕の着ているシャツの胸ぐらを両手で掴みあげているアスカがいた。

「ごめん・・・なさい・・・」

僕はそう言うより他に、思い浮かぶ言葉がなく俯くしかなかった。

アスカを怒らせてしまった・・・その事が僕の中に激しい後悔と自己嫌悪の剣となって現れ、僕自身の心を刺し貫いた。

僕は結局アスカを苦しめる存在でしかないのか・・・僕のせいでアスカは・・・情けない!!

その時、僕はアスカの両手が震えているのに気がついた

 

「・・・あんたにもしもの事があったら・・・アタシ・・・アタシ・・・」

 

細い肩が震えていた・・・

 

 

彼女の言葉は、もう声にならなかった。

僕はどうして良いのか判らず、父さんと母さんに目で助けを求めた。

父さんは困ったように笑って、ジェスチャーで腕で大きな輪を作るように指示するが、母さんはそんな父さんを促して病室を後にした。

この部屋に、アスカのすすり泣く声だけが響く・・・

僕は、アスカが本気で僕のことを心配していたことに今更ながらに気が付いた。

今僕が彼女に出来ることは、もう一つしかなかった。

「アスカ・・・」

僕は動かせる左腕を伸ばして、アスカを抱き寄せた。

「シンジ!」

僕の胸に顔を埋め、アスカは泣きじゃくった。 

僕のせいでどれだけ心配させてしまったのだろうか・・・今のアスカを見て、僕の胸は痛んだ。

そして、今・・・僕にもアスカの気持ちがはっきりと解った。

もう、僕に迷いは無い・・・ずっとアスカの傍にいたい・・・もう離さない!

「ごめん・・・許して・・・」

でも僕の口から零れ出た言葉は、こんな間抜けなものだった。 もっと気の利いた言葉を掛けたかった。

だけど、アスカに抱きつかれ、僕はもう何が何だか判らなかった。 気持ちだけが高ぶり、言葉が何も出てこない・・・それがもどかしかった。

「いや!・・・・許さない・・・絶対・・・許さないんだからぁ・・・」

泣きじゃくり、声を詰まらせながらアスカは僕に抱きつく腕の力を強めた。

こんな時・・・何て言えば、アスカは安心するだろう・・・?

アスカの柔らかな紅茶色の髪を撫でながら、僕は必死に考えた。

考え抜いた結果・・・答えは凄く簡単なものだった。

「ごめん・・・もう、あんな馬鹿な真似はしないから・・・」

 

それは僕のアスカへの想いの告白・・・

もしそれが許されるというのなら、僕はいつまでも君の傍にいたい。 馬鹿で唐変木な僕だけど、馬鹿なりに君を支えてあげたい。

それが僕の本心。

 

「・・・・うん・・・・」

アスカは僕の胸に顔を埋めながら、何度も頷いた。

僕の中で紅茶色の髪が揺れる・・・アスカの吐息を・・・鼓動を感じる・・・

僕は今、この世で一番愛しい人をこの腕に抱きしめていた。 

なんて良い匂いがするのだろう・・・なんて柔らかいんだろう・・・アスカってこんなに華奢で細かったんだ・・・

僕には、初めて味わう感覚だった。 

 

スーーーゥ ・・・ スーーーゥ ・・・ スーーーゥ ・・・

 

「・・・・アスカ・・・・」

僕は小さく声を掛けてみた。 僕の胸で彼女は小さく寝息をたてていた。

流した涙の跡が、乾いて白くなっている。 

僕は胸全体でアスカを受け止め、傍らのデスクに置いてあるウェットティッシュを取って、彼女の頬を拭った。

僕が意識を回復したので安心したんだろうか・・・?

彼女の寝顔は穏やかで、とっても可愛らしく見えた。 

 

・・・・キスしたい・・・・

 

そんな衝動に駆り立てられる自分自身を必死で押さえて、僕はゆっくりとアスカの髪を撫で続けた。

 

 

 

あの日以来、マスコミ報道はまるで嘘のように静まりかえった。

僕の怪我を悪化させた原因となったあまりにも強引な取材方法は、最早取材ではなく暴力として、ニュース番組で報道された。

そして、それを視た視聴者からの抗議が放送局や新聞・出版社に殺到する状態になった。

また、とうとう父さんも動き出し、悪質な取材を強行しようとした複数のTV局と出版社に、名誉毀損で民事訴訟を・・・建造物並びに住居不法侵入と傷害罪で刑事告訴を行った。

名誉毀損で民事裁判にマスコミが引きずり出される事はよくあるけれど、刑事事件で告発されるのは異例の事だった。

それも有力な証拠を突きつけられては、マスコミ各社は狼狽えるばかりだった。 

血相を変えて和解に持ち込もうとする担当者には病床の僕に代わって父さんが全面的に対応していた。

 「私に謝罪してどうする? あなた方のやった事の社会的影響力を考えていただきたい。 
  あなた方は、我が子やその関係者・・・そして全然関係のない・・・それも半身不随のリハビリを行なっている人の所まで
  強引なまでの『取材』と称する暴力行為を行っている。
 その人たちの心身を著しく痛めつけた責任・・・あなた方の言い方では『社会的責任』とやらはどう取ってくれるのか? 
 その事を明確にした文章を正式に交付しない限り、和解には応じないし、告訴も取り下げない。 お判りか?」

顔を見合わせる担当者たちに、父さんは声のトーンを一段落として吼えた。

「判ったなら帰れ・・・目障りだ。」

サングラスを掛けて両手を顔の前に組んで話す父さんは、覗き見ただけでも怖い。

芸術家独特の雰囲気がある上に、威圧感のある父さんの前では、どんな屈強な強者でも怯むはずだ。

母さんの話では、引っ越した先で熊とはち合わせになり、襲い掛かる熊に、一喝を浴びせて撃退したというから怖い。

父さんの雷喝に、縮み上がった担当者たちは這々の体で逃げ出していた。

「ありがとう・・・父さん。」

面談を終えて帰ってきた父さんに僕は頭を下げた。

「当然の事を言ったまでだ。 何も心配することはない。」

父さんは、母さんの出してくれたお茶をすすって、淡々と答えた。

「でも・・・迷惑掛けちゃって・・・ごめんなさい・・・」

僕の言葉に父さんは軽く息をもらして、ニヤッと笑った。 これが一番怖い・・・

「・・・問題はない。」

こんな時の父さんは、大概何かを企んでいる。 僕は経験からそれを知っていた。

僕の怪我の方も順調に回復していたが、足は相変わらずギブスをしている。

母さんは、僕にお茶を出してにっこりと微笑んだ。

「そうそう、先日冬月先生にお目に掛かってきましたのよ。」

母さんはソファに座ると、僕と父さんにニコニコと微笑みながら話をした。

「あの老人は元気か?」

「あなたは先生の生み出した最大級の『不肖の弟子』ですものね・・・ゲンドウさん。」

「そ、それは・・・あの御大が頑迷なのがいけないのだ・・・お陰で私の芸術はちゃんと評価されている。 時代の流れに逆らってはいかんのだ。」

「まぁ、それは、冬月先生が評議委員をご勇退されたからですわ・・・その事をお忘れなく。 あ・な・た。」

「・・・・ああ・・・判ってるよ・・・ユイ」

話についていけない僕を放り出して、父さんと母さんは二人だけの世界に突入していた。

どうやら、『コミュニケーション・ヴィレッジ セフィロト』の理事長 冬月先生は大学時代の母さんの教え子であり、父さんの絵画の師匠だったらしい。

さんざん二人の熱々振りを当てつけられて、ようやくその事を聞き出した。

毎度のこととは言え、いい歳してなんでそんなにベタベタできるのだろう・・・? きっと僕には理解できないものなのだろう。

「そうそう、シンジ・・・『園遊会』の弁当は、今回だけ私が用意するわね。 冬月先生にはそう言ってるから、あなたはとにかく養生なさい。
  それから、アスカちゃんのお母さんには私もご挨拶しておいたわ。 あなたも退院したら、ちゃんと挨拶しておくのよ。 今回の事は・・・」

「うん・・・判った・・・・っっってぇ!?」

そのまま聞き流そうかと思ったけど、最後の言葉に僕は面食らった。

「当たり前です! 今回はあなたが原因なのですから、あなたがきちんと挨拶なさらなくてどうするのです?」

キッとして僕を睨む母さんの視線が怖い。 僕は従わざるを得なかった。

背後で父さんがニヤリと笑っていた・・・そうか、そう言うことだったのか・・・ 僕は改めて父さんの企てを理解した。

確かに一度は挨拶しておかなければならないと思っていた。 僕のせいで、アスカのお母さんであるキョウコさんにまで迷惑が掛かってしまった。

その事は、いくらお詫びをしてもお詫びしようがない事だった。

だけど、何もしないなんて事は、選択肢の中に入っていなかった。 だから、一度アスカと相談しておきたい・・・

僕はアスカの病室を訪ねた。

アスカは、薬が効いているのかぐっすりと眠っていた。 顔色もかなり良くなってきていた。

でも、アスカの回復は少し遅れていた。 それは、僕のせい・・・

僕が失血多量で生死の縁を彷徨い歩いていた頃、アスカはようやく眠りから醒めた。

そんなアスカが最初に聞いたのは、僕のことだったらしい・・・そして、意識不明に陥っていると聞いて、アスカは病室を飛び出したのだ・・・

まだ満足に動くことも出来ない身体で・・・

《いいなぁ! 純愛よね! 私もそんな恋がしてみたい!》

検温にきた看護婦さんから、その事を初めて聞かされて僕は赤面した。 

でも嬉しかった・・・胸が熱くなってきて・・・狂おしいような気持ちに駆られて・・・居ても立ってもいられなくなった。

僕はベッドに横たわるアスカの頬を撫で、ついでようやく動くようになった、右手を動かして彼女を抱きしめた。

 

「心配掛けてごめんね・・・そして、ありがとう・・・嬉しかったよ・・・」

 

アスカのゆっくりとした鼓動が聞こえる。 そのリズムが心地良い・・・

僕はふと、テーブルの上に置いてある本に目が行った。 そこには、あの日一緒に読んでいた本が置いてあった。

そうだ、あの本を読まなければ!

僕はアスカから離れ、アスカのベッドサイドにある椅子に腰掛けて、本を読み始めた。

これは、所謂専門書ではなく、文庫本として売れていた本だった。日常的な事例から、『男』と『女』の違いを述べていこうという本だ。

読んでいく内に、この本の作者に抵抗感を覚えるようになっていた。

一般的な価値観としての『男』というもの『と女』というものについて語ったこの本には事例はいろいろ出てくる。

しかし、この手の本ではありがちな、筆者らの説を支持する事例だけが当然の如く恣意的に選ばれている。

何より、社会的な不公平を、生物学的な差異という形で一般化することで説明しようとしている感じさえ受けるのだ。

『やはり女は理性より感情や感性優位』であるという記述には頭を抱えてしまった。

つまり・・・重要な理性的判断が求められる局面や仕事は女には向かない・・・という結論が見え隠れしていた。 

「じゃあ、ミサトさんやリツコさんは当然変異なのか?」

僕は思わず本に反論していた。

『男は人を保護したり世話したりする能力が女より劣っている』という記述には、マジギレしそうになった。

つまり・・・男は細部にきめ細かい注意を向けることができないので、人のケアをするような『感情や感性優位の』仕事には向かない・・・という結論を導き出そうとしている。

「僕も当然変異なんだ・・・」

激情を辛うじて飲み込み、僕は小さく呟いた。

確かに社会心理学的な研究は、多くのケースに統計学的処理を施すことにより、人々の大多数の『傾向』を知ることが目的だ。

しかし、結局のところ、臨床的なレベルで個人に接していく時には個別的なケースとしてやっていくしかない。

それなのに、『平均的傾向』を算出し『マジョリティ』を追求していくような本を出版し、男女差について語ることで何を得ようとしているのだろうか?

これこそ大きなお世話だ。 

その時、ごそごそと動く音がしてアスカがゆっくりと起きあがった。

「あ、アスカ・・・目が覚めたんだね・・・おはよ・・・」

視野に僕を収めた彼女の顔から安堵の表情が浮かぶ・・・

「アタシの所にずっと・・・?」

アスカは慌ててベッドから降りて立ち上がろうとしたので、僕は彼女の肩をそっと支え首を横に振って声を掛けた。

「良いから今は休んでて・・・朝、加賀教授には僕から電話しておいたから・・・ちゃんと事情は説明したんで、公欠扱いになると思う。 それから、事務所にはミカさんが連絡してた。 しばらくはお休みだね・・・」

「シンジ・・・」

瑠璃色の瞳が戸惑うように揺らめいている。

自分は本当にこんな所で寝ていて良いのだろうか・・・?そんなアスカの戸惑いが僕にも伝わってきた。

良いんだよ・・・休んでも・・・君一人が頑張る必要はない。

僕はそんな思いを込めながら、アスカの髪をゆっくり撫でた。 恥ずかしそうに俯く彼女が愛しい・・・

「・・・じゃあ僕、検査があるから行くね・・・また後で来るから・・・」

抱きしめたくなる衝動を辛うじて押さえ込み、僕は壁に立てかけていた松葉杖を両手に持って突くと、彼女に笑顔を見せた。

「・・・うん・・・」

「じゃあ・・・」

杖を突いて出口に向かったその時・・・アスカの声が追いかけてきた。

「あの・・・シンジ・・・」

「うん・・・何?」

振り返った先には、何か言いたげなアスカが僕を見つめていた。

「う・・・ううん・・・何でもない・・・待ってる・・・・・・」

「すぐ戻るよ・・・」

 

僕はアスカの病室を後にした。

 

 

 

 

TO BE CONTINUED...

Produced on Dec.4th '01