味に定評がある仕出し弁当屋 『EVANGELIST』に顔を出したシンジは、改めて3人に頭を下げて詫びた。

完治はしていないものの入院する必要が無いと判断され、彼は杖を突きながらも、とにかく病院から退院することができた。

医者からは、まだ立ち仕事の許可は出てはいないため、事務室での事務作業専門となるのは仕方のない事だった。

それでも、シンジが店に戻ってきたことで店は活気を取り戻したかのように明るくなった。

「良いわよ。 アスカちゃんだっけ? あの娘こんな事やってたのねぇ?」

ミサトがにやにやしながら見せた通信教育のテキストには、紅茶色の髪を輝かせたアスカが微笑んでいた。

「シンジ君ったら、毎日なんですよ。 大学のキャンパスでこの娘と楽しそうにお弁当食べてるんです。 誰がどう見ても彼氏彼女の間柄です。」

追い打ちを掛けるようにマヤは、冗談っぽく笑いながらリツコとミサトに報告した。

「かぁ〜〜! 若い者は良いわねぇ! ちょっとリツコ! 聞いた? 純愛よ純愛っ!」

「私達にだって、そういう年の頃あったじゃない・・・冷やかさないの。」

ミサトを軽く窘めて、リツコはまっすぐシンジを見つめた

「社長・・・今回の件で、お怪我をされ入院を余儀なくされたのはやむを得ません。しかしながら損失を被ったのも事実・・・この埋め合わせはやはり売り上げしかないんです。」

「そうですね・・・」

リツコの言葉にシンジは頷いた。 尤もな事であり、問題はこれからどうやって損失の穴埋めをしていく事かと言うことに尽きた。

「何か方策はありますか?」

「営業時間を深夜にまで延長する・・・というのも、一つの考え方ではありますが・・・」

シンジの問い掛けにマヤが自分の意見を述べ始めた。

「この立地条件では、あまり効率的ではありませんね・・・おまけに今回のような強盗のターゲットにもなりかねない・・・」

どちらかと言えば、意見と言うより自分自身への問い掛けの感は禁じ得なかった。

マヤが言うように、あまり良い案とは言えず店内には沈黙の世界が広がった。

その時、ミサトが小さく手を挙げて、自分の意見を述べ始めた。 

「いえ、営業時間云々よりも・・・この店の知名度を上げることが何よりも重要です。」

ミサトはシンジの肩に手を置いて、軽く微笑むと再び、凛と言葉を放った。

「今回の事件で店の売上金も奪われることなく、かつ大々的な宣伝をマスコミに無料でして貰った事は、天佑と言わざるを得ないでしょう。一部の短絡的なメディアも居ましたが、今回の社長の措置で、その姿も消え、世間も好意的に捉えています。」

「なるほど。」

ミサトの現状分析の言葉にマヤは頷いた。 彼女の納得するかのような発言を聞き、ミサトはさらに自分の考えを展開してみせた。

「そこで・・・キャンペーンをしたいと思います。 新聞店に折り込み広告を出して割引券を付けましょう。 1回の折り込みチラシに関わる経費は、業者と交渉して1枚辺り5.5円にして貰うことができます。 これをこの近辺の2万世帯に配布するんです。」

話題になっている今だから逆にチャンスだと彼女は主張していた。

勝手に宣伝してくれたのだから、この機会を逃す必要はないと彼女は言いたかったのである。

「それは良いですね! 今回のことで僕自身マスコミにはエライ目に遭いましたから、少しでも役に立って貰いましょうか。」

シンジが喜んで同意の意思を表明したとき、リツコの声が響いた。

「いいえ、それだけでは手緩いわね。」

顎に手を当てて思案していたリツコが、ようやくここで自分の意見を論じ始めた。

「リツコ!」

目を剥くミサトに穏やかに微笑んで、リツコは話を聞けと言わんばかりに、彼女に目配せした。

「・・・それに合わせて、弁当に使用してる具材を惣菜として店頭販売にするのです。これによって、主婦層の獲得ができます。幸いこの辺りで営業許可を取っている店舗は此処一軒だけですから。場合によっては、売り場の改装も考慮しましょう。」

「リツコさん・・・」

シンジは驚いて目を丸くした。

「シンジ君をこの仕事に巻き込んでしまったのは、私達よ・・・だから、私達はあなたに対して責任がある。 そして、やるからには成功したい。 そう思ってる。」

リツコの意見に感心したように手を打ったミサトも声を掛けた。

「私達は、シンジ君・・・あなたを支えるわ。 あなたの作る料理が多くの人に愛されているのは事実なの。 後はその味をどのようにして売っていくか・・・それは私達が考える・・・だからシンジ君。あなたはその気持ちを忘れないでいて。」

「ミサトさん・・・」

シンジの中に熱く込み上げるものがあった。 この人達が居て、初めてこの会社は成り立っている。

誰一人欠けても上手く機能しない組織・・・それがこの店なのだと、シンジは改めて実感していた。

しかし、その直後にマヤが躊躇いがちに声を掛けた。

「でも・・・少人数でやってる訳ですから、今後私達にシンジ君と同じような事が起こらないとは言えません。 せめてもう一人・・・」

「まぁ、それは考えて置くわ・・・私達に必要なのは人手よりも人材ね・・・型通りの事しかしないんじゃ、ロボットを導入した方がいいわ。 何なら私が作っても良いくらい・・・」

「そうね・・・シンジ君の味を常にチェックできて、アドバイスできるような・・・それでいてシンジ君の苦手な飾り付けが出来るような人が欲しいわね・・・」

その時、シンジはある一人の女性のことをの事を思い浮かべた。

彼女なら、自分の良きパートナーになってくれるかも知れないと思った。

 

『・・・アスカ・・・君となら、きっと上手くやっていけるだろうね・・・』

 

惣流アスカ・・・その名前はシンジにとって、もはや特別の存在になっていた。

一緒に過ごし、共に困難を乗り越え、共に喜びを分かち合いたいと願う最愛の人・・・

しかし、彼女には夢がある。 それは、やらなければならない仕事と同一のものだった。

その夢を知ってるが故に、シンジはその考えを心の中に封じ込めた。

 

 


空から零れたストーリー


The Girl who comes from sky 
I-part
 想い新たに
wrote by Tomyu


 

お店の方は、リツコさんと応援に駆けつけてくれた母さんの奮闘で、どうにか営業を続けていた。

心配していた身体障害者療養施設『セフィロト』の園遊会への弁当の納品も滞り無く完了し、理事長の冬月さんからも、継続的な取引きを正式に要請された。

その報告をミサトさんから受けて、僕は安堵の息を漏らしていた。

自分の弁当が出せなかったのは残念だけど、まだ機会はある。 その為にも今はしっかりと自分の体を治しておかなければならない。

ここで無理をしては元も子もないんだ。

僕は逸る気持ちを精一杯こらえて、自分の体の回復に専念していた。

「シンジ君・・・ちょっと良い?」

店の営業時間を終えたある日、リツコさんとミサトさんマヤさんが揃って僕の所へやって来た。

「はい。何でしょうか?」

「この前話したキャンペーンの事だけど、そろそろ実行しようと思うの。」

リツコさんが、静かに用件を切り出した。

「店舗改装の事ですか? 改装に投じる費用に対して、どれだけの効果が出るのか・・・そこが問題ですね。」

僕は慎重な意見を3人に伝えた。

「ここに、データを用意してみました。」

マヤさんが、プロジェクターを作動させ、僕にデータを指し示した。

「新境町・新境南町・桜台・中町・西久保・・・この店を中心に、半径2kmにある町内に住まう約4,800世帯を母集団に標本調査を実施しました。これがその結果です。」

そこには、食事に関する意識調査と銘打たれた、いわゆるアンケート結果が表示されていた。

独身世帯・家族世帯毎に分けられ、献立の決め方や食材の調達・料理の頻度・惣菜の購入頻度などが記載されていた。

この地区は住宅街であり、スーパーマーケットやコンビニエンスストア・商店などが少ない事もあってか、毎日の夕食の献立に苦労していることが判る。

「こうしてみれば、顧客のニーズが十分考えられます。」

「ちなみに、これが収益見込み表よ・・・店舗改装費用を加味しても、十分ペイできる水準になってると思うけど。」

リツコさんが算出したシミュレート表を眺めて、僕は暫く考えた。

確かに説得力のあるデータであるし、問題はないとも言える。 しかし、本当にそういう予測通りになるのかどうか・・・僕には自信がなかった。

そんな僕の気持ちを察したのか、ミサトさんがポンと肩を叩いて笑顔を見せた。

「大丈夫よ! 私たちを信じなさいな。 これでも私達は役員なんだから、経営責任を負ってんだし! それに、一度は荒らされた店をそのまま使うのも、何か嫌だしね。」

快活な笑顔を見せるミサトさんは、自信満々に答えた。

「判りました・・・やりましょう・・・」

僕は彼女たちの熱意を受け入れ、改装を承認した。

幾分かの不安はあるものの、手を叩いて喜ぶ彼女たちを見ると、僕はそれ以上何も言えなかった。

やがて、改装工事の業者への発注も済み、店は来週から年内までは休業する事になった。

その間に、リニューアルオープンのキャンペーンチラシの制作にも取りかかるが、何とも趣味の悪いチラシの原稿を見て、僕は頭を抱えた。

「これじゃ、まるで閉店セールみたいじゃないですか・・・勘弁してくださいよ。」

「やっぱり・・・?」

僕のクレームに、ミサトさんも笑って答えていた。

「じゃあさ、アスカちゃんに頼んでみたらどう? 彼女もプロなんだし。」

ミサトさんがニヤリと笑って僕を見つめた。

「そんな・・・今の彼女には無理ですよ。 それでなくても仕事も溜まってることでしょうし・・・」

僕だってアスカに頼めるのならそうしたい・・・でも、彼女は無理が祟って休まざるを得なくなっている身だ。

退院した彼女を待ち受けているのは、溜まりに溜まっている仕事の山だろうということは容易に想像できた。

「ダメ元で良いじゃない・・・大好きなシンジ君の頼みなら、最優先で対処してくれるかもよ?」

「だから、ミサトさん! アスカは僕の彼女でも何でもな・・・」

「きゃーーー! ねぇ、リツコ聞いたぁ? アスカだってよ! もう、すっかり恋人ね! これは飲まずに居られないわ!」

僕の声を遮って、ミサトさんは調理場に行こうとするリツコさんの所へ駆け寄っって行った。

・・・完全におもちゃにされている・・・

調理場に立てない今の僕の役割は、事務員・・・またはミサトさん達のおもちゃになっているようだ。

「はぁ・・・・・・」

僕は大きく溜め息を吐いた。

 

 

 

アスカの回復は順調だった。

僕の方が先に退院したとはいえ、僕の足の怪我はまだまだ完治には時間が掛かる。

だから、僕は通院して診療とリハビリを終えると、そのままアスカの居る病室へと向かうのが日課となっていた。

「やっほ! アスカ!」

「遅いわよ、待ちくたびれちゃった。」

アスカがプッと頬を膨らませて僕を睨んだ。 だけど、僕を待っててくれたんだなぁと思うと、なんだかとても嬉しくなる。

自分がアスカに必要とされていることは間違いのないことだったから・・・

「ごめんね。 ちょっと痛み止めの薬とか、湿布薬を貰うのに時間が掛かっちゃってさ・・・座っても良い?」

「良いわよ。 どうぞ。」

「うん、ありがと・・・じゃあ、遠慮なくっと・・・」

僕は、いつもの面会椅子ではなく、ワザととぼけてアスカの隣に腰掛けてみた。

「ちょっと、何やってるのよ! 馬鹿シンジ!」

僕とアスカの腕が密着する・・・アスカは抗議の声を上げてはいるが、別に突き飛ばそうともせずに僕を顔を覗き込んでいた。

「あれ・・・違う?」

「・・・・・・・・・・・まぁ・・・・・・いいけど・・・・・・・」

ちょっと頬を赤らめるアスカが可愛い。 というより、アスカの中に僕の居場所があることが嬉しかった。

お互いに『好き』という言葉の告白はしてないけど、二人だけになった病室で初めて抱きしめ合った日のことは、1日たりとも忘れたことがない。

あの日以来、僕はアスカに対してすごく積極的になっていた。 そんな僕を嬉しそうに受け入れてくれるアスカ。

僕の毎日は凄く充実していた。

「今日はね、美味しいリンゴ持ってきたよ。 母さんが送ってくれたんだ。」

僕は、手に下げたバスケットから真っ赤なリンゴを取り出して笑ってみせた。

「おいしそうね。」

アスカがリンゴを手にとって、嬉しそうに微笑んだ。

「そう言えば、ママから電話があったわ・・・シンジのお母さんがみえたって・・・この前の園遊会の日に、ママに弁当を持って来てくださったんですって・・・」

「そ、そうなんだ!」

僕は少し慌てた。 確かに母さんはキョウコさんに挨拶しておいたとは言っていた。

「でも、どうしてママが入院していたの知ってたの?」

アスカが不思議そうに首を傾げた。

僕はどう答えようか一瞬考え、それから説明を始めた。 

ミカさんの話のことは触れないで・・・ミカさんから聞いたと言えば、きっとアスカは嫌な思いをするだろうと思ったから・・・

「ほら・・・アスカのお母さんの所へ、あの○○テレビの取材記者が行ったじゃない・・・関係者に取材を敢行とか言ってさ・・・」

あの時のワイドショーの番組は思い出しただけで腹が立ってくる。 

人を人とも思わぬ行動に、僕はブチキレた。

「それで、入所している人達のリストを冬月先生に見せて貰って、アスカのお母さんが居たことが判ったんだ・・・それで母さんが・・・」

「そうなんだ・・・」

アスカは、僕から事情を聞いてようやく納得したようだった。

僕はミカさんから聞いたことは、全て忘れようと思った。 いや・・・聞かなかったことにした。

いつか、アスカが話してくれるに違いないと思ったから・・・自分の口から話してくれるのを待とうと思った。

「園遊会には僕が弁当を作る予定だったんだ・・・だけど、このありさまで、急遽母さんがピンチヒッターで弁当を作ってくれて・・・それでアスカのお母さんに挨拶したんじゃないかな・・・」

「そっか・・・ごめんね、ママにまで気を遣って貰って・・・」

アスカはにこやかに微笑んで僕を見つめた。

「そんなことないよ。 僕のせいでアスカのお母さんにまで迷惑掛けちゃって・・・謝らなきゃいけないのは、僕の方なんだから。」

僕は慌てて手を振った。 おまけに僕自身はまだ、お詫びにすら行ってない・・・

「でも・・・アスカのお母さんって、どんな人なのかな・・・」

僕は思わず自分の思っていたことを声に出していた。

「えっ・・・?」

アスカの瑠璃色の瞳が大きく見開かれる。

「えっ・・・あっ・・・いや・・・その・・・ちょっと気になったものだから・・・」

僕は何時になく狼狽していた。 たったこれだけのことなのに此処まで狼狽えるなんて、ちょっと格好悪かった。

「意地っ張りで・・・寂しがり屋よ・・・ママは・・・」

アスカがポツリと口を開いた。

僕はどう返事をして良いのか判らずに、言葉を選んでいた。

「その癖・・・直ぐ無茶をするの・・・身体が弱いのに・・・無理が利かない身体なのに・・・」

アスカの声が消え入りそうな程、儚く聞こえた。

キョウコさんは、そんな身体でも・・・アスカを此処まで育ててきたんだ。 かなり辛かったのではないだろうか・・・

そんな母親を見て、娘のアスカは育ったきたんだ・・・彼女がどうして此処まで頑張ってきたのか・・・解るような気がしていた。

「ごめん! アスカ・・・」

解ったからこそ、僕はアスカに謝った。 悲しい事を思い出させてしまったことが辛かった。

「・・・無神経な事を聞いてしまって・・・」

「良いの! 違うの!」

アスカが慌てて首を振って、僕の両手を握りしめた。

「アタシ・・・今まで誰にもママの事なんて話したことない・・・全部自分のことだから・・・自分一人で頑張ってれば・・・我慢すればそれで良いと思ってた・・・」

「アスカ・・・」

「だけど・・・シンジが優しくしてくれればくれるほど・・・アタシはシンジにだけは、頼りたいって気持ちになったの・・・だってシンジは何時でもアタシのことを見ていてくれた。」

アスカの瞳に涙が浮かんでいた。 アスカもキョウコさんと同じ、意地っ張りでそれでいて寂しがり屋なんだ・・・

「・・・・・・・・どうしてなの?」

アスカが消え入りそうな声で僕に尋ねてきた。

「えっ?」

「どうしてシンジはアタシにそんなに優しくしてくれるの? アタシ・・・シンジの恋人でも妻でも何でもないのに・・・?」

アスカを愛しているから・・・そう答えることが出来たなら、どんなに楽だろう。

でも、『愛』ってそんなに軽々しく口にして良いものだろうか?

僕は間違いなく自分の中でアスカを愛していた。 アスカの進むべき未来や希望に僕が役に立てるなら、僕はどんな事でもしようと思っているし願っている。

だけど・・・僕はアスカにとって何なのだろう・・・?

彼女の言う通り、恋人でも妻でも何でもない・・・そんな立場の僕が、軽々しく『愛している』なんて言える筈がない・・・僕はそう思っていた。

そんな僕が言える言葉・・・僕は絞り出すようにして言葉を紡いでいた。

「・・・気になるんだ・・・気になって気になって仕方がないんだ・・・アスカのことが・・・」

「でも・・・アタシシンジに・・・これ以上迷惑掛けられない・・・・アタシのせいでシンジが・・・」

アスカがそう思ってくれるだけで、僕は幸せだった。

恋人にして貰えなくても良い・・・自由な空へ飛び立つための羽休めでも構わない。 

隣に居合わせた事で、僕も夢を見ることが出来た。 休めた翼を再び広げる事が出来た。 それが僕の真実・・・

「僕・・・アスカになら・・・いくらでも迷惑掛けて欲しい・・・」

僕は彼女の手を握った。 

だからせめてもの言葉をアスカに伝えたい・・・今の僕が言える最大級の愛情表現で・・・

 

「好きだよ・・・アスカ・・・」

 

その時、アスカが瑠璃色の瞳を大きく見開いて僕を見つめていた。

「シンジ・・・」

僕は初めて自分の想いを言葉にしてアスカに紡いでいた。

初めて僕を認めてくれた彼女に、どれだけ勇気づけられたのか・・・彼女のアドバイスが、どれだけ僕が心強かったか・・・

もう二度と言の端に乗せることはできないかもしれない・・・だから眼を閉じて、精一杯の気持ちを込めた。

彼女を見ると、折角奮い起こした勇気がどこかへ吹き飛んでしまいそうだったから・・・

「アスカは僕の弁当に初めて理解してくれた。 僕のやってることを認めてくれた。 嬉しかった・・・気がつけば僕はアスカのことばかり考えるようになってた・・・」

僕は本当の気持ちをアスカに漏らしていた・・・アスカに振り向いて貰えなくても良い・・・その気持ちに嘘はない。

でも・・・やっぱり怖かった・・・アスカに拒まれるのが・・・拒まれ、此処まで築いてきた関係が壊れてしまうのが何よりも怖かった・・・

それでも僕はアスカに知って欲しかった・・・僕が今までどんな気持ちでいたのかを・・・

「僕が好きって言うことが、迷惑だと思ってあきらめようと思った・・・でも、あきらめようとすればするほど僕の中でアスカはどんどん大きくなっていくんだ・・・もう、僕の中ではどうすることもできない位に・・・君が好きになっている・・・」

「シンジ・・・」

彼女の声が間近に聞こえる。

僕の手を握り返すアスカの手の温もりが僕に伝わっていた。

眼を開けた先には、アスカがすぐ近くにいた。

顔を上げ、瞳を閉じたアスカが僕を待っていた。 

僕は意を決して、彼女を自分の方へと引き寄せた。

 

 

「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 

 

アスカの唇は柔らかく・・・そして心地良かった。

友達の話には聞いたことがあるし、多くの恋愛小説でも描かれることのある出来事・・・

アスカの腕が僕の背中に回されて、僕を待っていたかのように強く抱き留める。

僕もアスカを抱きしめる腕に力を加えた。 もう離したくない・・・一緒にいたい!

キスがこんなに気持ちが良いものだとは、22年も生きてきて全然知らなかった。

 

「ごめんなさい・・・こんな時どう答えて良いか判らなかったのよ・・・アタシ・・・」

 

アスカがゆっくりと僕から離れて、俯いて呟いた。

「アスカ・・・」

「アタシ・・・ママと二人で住んでたの・・・6畳一間しかない小さなアパートに・・・パパはアタシが5歳の誕生日に死んじゃったの・・・」

アスカの口から、幼い頃からの出来事がトツトツと紡ぎ出された。

それは、いつかミカさんから聞かされた話とまったく同じものだった。

それでもキョウコさんは、失意のどん底に落ち込みながらも、アスカを育てるため無理をして働いた。

アスカは、病弱な母親に負担を掛けまいと中学卒業と同時に就職を希望するけど、キョウコさんはそれを叱り飛ばした。

《今あなたのやるべき事は、働く事じゃない。 大学を卒業して自分の足で歩いていく事よ。》

その母の言葉に、彼女は一生懸命勉強した。

早く大人になり、母を助けることが何よりも育ててくれた母への感謝の気持ちになると信じていたから。

だからこそ、その死に物狂いの努力で飛び級で大学へ入ることができた。

しかし、彼女が大学4年になった直後、母親はついに倒れた。 病弱な体に無理をしてきたツケが回ってきたせいだった。

下半身が麻痺し動けない状態がになり、気丈な母親もとうとう自暴自棄になってしまった。

それでも、まだ望みは絶たれた訳じゃない。

介護施設でリハビリを繰り返し、訓練さえすれば、再び動けるようになる・・・その為にはお金がいる・・・アスカは学業の傍らで、仕事を始めた。

それが今のデジタルクリエイターの仕事だった。 

「アタシ・・・こんな生き方しか出来ないの・・・アタシのせいでパパはもう還らない・・・アタシがママからパパを奪ってしまった・・・」

静かに呟くアスカの声は、苦しそうに震えていた。

それは余りにも悲しいアスカの心の傷跡だった。 だからこそ、僕はアスカの力になりたい・・・そう思った。

「アスカ! そんなに自分を責めないでっ!! アスカは全然悪くないっ!!」

僕は、アスカを抱きしめ言葉を紡いだ。

「だって、アスカは一生懸命生きて来てるじゃないか・・・精一杯頑張ってるじゃないか!  自分に何が出来るのか、必死で見つめ合ってきてるじゃないか!!」

僕は気がつけばアスカを叱り飛ばしていた。 説教するような立派な人間でもない・・・だけど言わずには居られなかった。

「シンジ・・・!!」

自分一人で苦しみを背負い込み、生きるのは止めて欲しかった。

キョウコさんだって・・・ミカさんだって・・・アスカが負い目を感じている限り、自分自身の人生を歩むことが出来ない。

それじゃあ、あまりにもみんな惨めすぎる・・・誰一人幸せになれないんだ。

「アスカの母さんだって、アスカを愛してるからこそ、歯を食いしばってアスカを育ててきたんじゃないか!? そんな母さんが愛したアスカを、アスカが愛さなくてどうするんだよ!!」

僕の眼から涙が流れていた。

同情なんかじゃない・・・悲しいから泣いてるんだ。

キョウコさんもミカさんも・・・それにアスカも精一杯生きているのに、どうしてこんな思いをしなければいけないのか・・・?

彼女たちが何をしたというのか・・・? 

その事を考えれば、 僕はアスカに前だけを見て生きて欲しいと願わずには居られなかった。

「どうして・・・泣いてるの?」

アスカがティッシュペーパーで、僕の涙を拭って呟いた。

「アタシのために・・・泣いてくれたの・・・?」

僕は声を出すことが出来ず黙って頷いた。 

「ありがとう・・・シンジ・・・」

僕の体を温かい感触が駆け抜けた。

僕の首に感じるアスカの腕・・・腕に感じる紅茶色の長い髪・・・そして、胸から感じる2つの優しい果実・・・

アスカが思いっきり僕に抱きついているのに気がつくまで、数秒の時間が必要だった。

「・・・アスカ・・・」

 

 

「・・・好きよ・・・シンジ・・・」

 

 

初めて聞かされたアスカの気持ち・・・僕は心臓が止まりそうな衝撃を受けた。

今までのそれらしき行動や態度では判っていた・・・だけど、実際に言われるとこんなにも嬉しいものなんだ・・・

女の子から告白された事が今まで無かっただけに、僕の心は天にも昇りそうなくらいに舞い上がっていた。

「ありがとう・・・嬉しいよ! アスカ!」

左手でアスカの長い髪を撫でながら、僕はアスカを抱きしめる腕に力を加えた。

 

「・・・・?・・・・」

 

その時、僕は右腕に違和感を覚えた。

正確に言うと右手に違和感を感じていた。 思いっきり力を入れてる筈なのに、何だか力が入っている気がしなかった。

しかし、そんな僕をアスカは嬉しそうに・・・それでいて恥ずかしそうに見つめていた。

僕はアスカの瑠璃色の瞳に見つめられて、幾分恥ずかしさを覚えた。

「リンゴ・・・食べようよ・・・」

僕は軽く咳払いをして、持ってきたリンゴを取り上げた。

「シンジが食べさせてくれるなら・・・食べる・・・」

初めてアスカが僕に甘えてきた。 その仕草があまりにも可愛くて、僕はリンゴを落としそうになった。

だって、アスカの別の一面を見ることが出来たから・・・それは今は僕だけしか知りえないものだと思ったから嬉しかった。

「ちょ、ちょっと待ってね! 今切ってあげるから・・・」

僕は、バスケットに入っていた果物ナイフを取り出し、皮を剥き始めた。

毎日弁当作りに勤しんでいるから、リンゴの皮を剥くことぐらい造作もない。 どれだけ長く皮を長く剥き続けていられるか、彼女に披露したいぐらいだった。

 

『・・・・・・・・・・・・・・!!・・・・・・・・・・・・・・・・』

 

異常にようやく気がついたのは、その時だった・・・

右腕の感覚が何故がおかしかった・・・まるでロボットで遠隔操作しているように、思うように動かない。

剥いた皮の厚さや太さが均等でなく、おまけにブツブツと切れていく。

「どうしたの?」

僕の剥くリンゴの皮を見てアスカも気がついたのか、僕からリンゴとナイフを取り上げて僕の手を握り締めた。

「う・・・うん・・・なんか右手が変な感じなんだ・・・ぼやけた感じっていうのか・・・」

僕は彼女に握られた手を、幾度となく広げたり閉じたりした。

先程までは大して気にならなかった。しかし、一度気になりだすと、例えようもない違和感だけが押し寄せてくる。

どうしても力が上手く入らず、指先の感覚が左手とは明らかに異なっているような気がしてならなかった。

「ずっと、吊ってて固定してたせいよ。」

アスカが僕のシャツの袖を捲り上げた。

「筋肉が強張っているんじゃないかしら・・・ずっと使わなかったから・・・」

アスカの温かい手が、僕の右手を優しく揉み解していく。

腕・・・手首・・・手のひら・・・指先・・・その全てが彼女の細く柔らかい手に包まれていく。

「大丈夫よ・・・シンジ。 直に治るわよ。 だから焦らないで。」

微笑むアスカの顔が僕には眩しかった。

アスカは黙々と僕の右手のマッサージを続けている。 その一心不乱な姿に、僕は目を奪われていた。

僕のために・・・

そう思うと僕の中の彼女への想いが、もうどうする事も出来ないように膨らんでいった。

 

 

アスカとなら・・・一緒に人生を歩んでいきたい・・・

アスカとなら・・・共に支えあって生きていきたい・・・

 

 

アスカとなら・・・

 

 

 

心の中でしまい込んでいた考えが、決意となって僕の全身を駆け抜けた。

 

 

TO BE CONTINUED

Produced on Dec.6th '01