ようやく体力が回復した彼女は、意気も盛んに彼女の叔母が居る店にやってきた。

これから遅れたもの全てを取り戻さなければならない。

問題は山積みしているが、今までのようにしっかり頑張れば、遅れはきっと取り戻せる。

彼女はそう信じていた。

「こんにちは!おばさま! いろいろご迷惑をお掛けしました!」

にこやかな笑顔を見せ、店のドアを開いた彼女は、元気良く声を掛けた。

「あら! 退院おめでとう!」

店のオーナーである彼女の叔母も、元気な顔を見せた彼女に自然と笑顔を返していた。

しかし、長いこと入院してた割には意外と身軽な出で立ちの彼女の様子に、叔母は怪訝そうな顔をした。

「でも・・・荷物はどうしたの? 連絡くれれば迎えに行ったのに・・・」

「うん? 大丈夫。 彼のお店の人が運んでくれたから・・・」

叔母に指摘されて彼女は、大きくドアを開いて招き入れた。

そこには見慣れた若者が松葉杖を突きながら、多少照れながら入ってきた。

「あら、シンジ君じゃない。 いらっしゃい。」

叔母は笑顔で彼を迎え入れた。 

すぐに席を勧めて腰掛けさせると、彼に問い掛けた。

「足の方は大丈夫?」

叔母の問い掛けに、彼は恥ずかしそうに答えて見せた。

「ええ、明日最後の検査があるんです・・・それで問題なければ、ギブスと杖とはさようならですね。」

「そ・・・良かったわね! 今お茶淹れてあげるから、ちょっと待ってて。」

厨房に戻りながら、叔母は二人の素振りを見て、彼らが想いを伝え合った事に気が付いた。

それから暫くの間談笑した二人はそれぞれの家に向かって帰っていった。

その別れ際に、ちょっと体を寄せ合う姿を遠目にしながら彼女は思った。

これからはきっと仲良くやっていくのだろう・・・そう確信していた。

願わくば、この二人に穏やかな道が続いている事を・・・彼女は祈らずには居られなかった。

 

しかし・・・

事態は思わぬ方向に進んでいた。

 

アスカ・ラングレー・・・彼女は彼女がこれまで担当していた全ての仕事から降板する事になってしまった。

アパートに戻った彼女を待ち受けた通告は、彼女を驚愕させても、なお余りあった

「理由は・・・お判りですね・・・」

慌てて連絡した仕事先の担当者は冷酷に言い放つ。

「あなた自身が開けた穴なんです。 いかなる事情があったにしても、結果として契約を履行できなかった・・・違約金を請求しないだけでも有り難いと思って欲しいですね。」

その言葉は、彼女が直面している現実を如実に言い表せていた。

それだけに彼女を絶望という名の牢獄へ送り込むのに十分な力があった。

 

 

 


空から零れたストーリー


The Girl who comes from sky 
J-part
 翼の折れた天使
wrote by Tomyu


 

街がクリスマス一色に染め上げられた中、僕は自宅のキッチンに立って包丁を動かしていた。

午前中の診療で、僕の足首を固定していたギブスが取り外され、僕は晴れて自分の足で歩く事が出来るようになった。

しかし、やっぱり右手同様に違和感は残っていた。

「久しぶりに動かすから、ちょっと突っ張ったような感覚が残るかもしれないが、直にとれるよ。 無理をしない程度に動かすようにしなさい。」

医者はそう言って僕にできるだけ体を動かすように勧めて、治療の終了を告げた。

これで僕は、手足ともに完治したことになるのだけれど、やはり自分の体じゃないような気がしていた。

「これでどうだろう・・・」

僕は包丁を動かす手を止めると、まな板の上に千切りにされているキャベツを見下ろした。

窓の外では、家々が思い思いのクリスマスデコレーションを家に施し、白や赤・青や黄色の光のペイジェントが煌いていた。

高地にある第三新東京市は、もう間もなく雪が降る。

雪が降り始めれば、もう1年の終わりなのだという事を実感させられる。

僕はあまり暖房が好きじゃない。 エアーコンディショナーから送り出される温風に空気が乾き、喉を痛めるから。

だからという事もあって、今僕が居るキッチンは足元から冷え込んでいる。

店の改装工事も既に始まっていて、年内には完了する。 

年明けのリニューアル・オープンを控えて、工事は急ピッチで進んでいた。 

それまでにある程度自分自身のリハビリも済ませて置きたいと気持ちが、僕の心を支配していた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 

僕は、切り分けたキャベツの千切りを見て溜め息を吐いた。

「ダメだ・・・大きさがばらばらだ・・・」

寒くて手が悴んでいるせいだと思いたかった。 しかし、やはり右手の違和感は拭えなかった。

「くそぅっ!」

僕は愛用の包丁をシンクへ放り込んだ。 ガチャンという音と共に、包丁は水が張ってあるボウルの中に沈んでいった。

悔しかった・・・自分の意のままにならない右手がもどかしかった。

僕はじっと傷跡の残る右手を見つめた。 本当にちゃんと動くようになるのだろうか・・・?

焦りと不安・・・そして恐怖が僕の中に渦巻き始めた。

 

《焦らないで・・・》

 

その時、アスカの声が僕の脳裏に甦えってきた。 

右腕を丹念にマッサージしてくれたアスカの手の温もりが今でもこの腕に残っていた。 

僕は気分を落ち着けようと、冷蔵庫から缶ビールを一本取り出して一口煽った。

口の中に炭酸と苦味が広がっていく。 

アスカの言う通りだ・・・焦っちゃいけない・・・

僕は両手で自分の頬を叩いて、後片付けを始めた。 とにかく手先を動かさないといけないと思ったから。

自分の部屋に戻り、コンピューターを立ち上げる。 

小さな起動音と共に、ハードディスクからOSの起動プログラムを読み込む音が静かに聞こえてきた。

今僕は、読んだ本の要約をして纏める作業をしていた。 論文の提出締め切りは、御用納めの28日・・・もう時間がなかった。

そして、アスカと約束したデータの受け渡しの日は明日だった。

アスカも今は必死で、論文を書いているのだろう・・・

僕のほうは、もう本読みが終了しているから、何とか纏め上げて明日ミカさんのお店でアスカにこのデータディスクを渡しておきたい。

僕は意のままに動かない右手をどうにか動かして、キーボードを叩き続けた。

終わらせるまでは絶対に寝ない・・・僕はこの時ムキになっていた。 このままじゃいつまで経っても先には進めないと思ったから・・・

仕事も・・・アスカの論文作りの手伝いも・・・僕は時間が経つのを忘れてキーボードを叩き続けた。

 

 

窓から差し込む朝の陽射しに僕は目を覚ました。

時計を見ると、時刻は午前9時を少し回った所・・・ いけない! 完全に寝過ごしていた。

僕は慌てて飛び起きると、スウェットスーツを脱いで着替えた。

店は改装工事をしているとは言っても、お客さんからの注文や問い合わせの対応で、ミサトさん達も出勤している。

僕は、息せき切らして事務所へ飛び込んだ。

「おはようございます! すみません!」

「シンジ君、走っちゃダメでしょ! また足を痛めるわよ!」

ミサトさんは僕を見るなり叱り飛ばした。 しかし、それは寝坊した事ではなく、走った事に対して注意を促したものだった。

「えっ、あっ・・・はい・・・すみません・・・」

受話器を握り締めたリツコさんもマヤさんも、笑いを堪えながら電話応対を続けていた。

店を休業しているというのに、電話は頻繁に掛かってくる。

内容はいつ営業再開をするのかという近所からの問い合わせが大半を占めていた。

たかが弁当屋なのに、ここまで固定客がいるのかと思うと、何だか嬉しくなってくる。

「社長。 事務仕事は良いですから、早くチラシの原稿作成をラングレーさんに依頼してくださいね。 断られたら、他の人当たらないといけないから、至急対応してね!」

言い終わるや否や事務所の入口に佇んでいた僕に、ミサトさんは店のメニューと惣菜のラインナップの資料を僕に押し付けた。

「えっ、でも・・・」

言いかけた僕の両肩を掴んだミサトさんは、クルリと僕の体を180℃回転させた。

「はいはい、行った行った! 何事も営業は大切よ!」

僕を事務所から押し出して、ミサトさんは先程から鳴り続けている電話へ飛びついていた。

彼女たちの気遣いが僕の心に染み込んでくる・・・僕は事務所の入口で振り返り、深々と頭を下げた。

踏みしめる大地の感触が心地良い・・・自分の足で歩くことが出来る幸せ・・・当たり前であることなのに、それすら出来なかった。

そのことを僕は改めて天に感謝したい気持ちだった。

僕は、途中で花屋に立ち寄って花束を買い、洋菓子店でお菓子を買い求めた。

アスカの所へ行く前に、どうしても立ち寄りたい所があったから。

僕の足は、迷うことなく身体障害者療養施設『セフィロト』へと向かっていた。

アスカのお母さん・・・惣流キョウコさんにお会いしたいと思っていたから・・・

 

端正な顔立ちと紅茶色の髪・・・そして穏やかに煌く瑠璃色の瞳・・・しかし何処となく儚そうな人。

・・・それがキョウコさんを見た僕の第一印象だった。

彼女は僕を見ると、車椅子に掛けたままお辞儀をした。

「初めまして・・・碇シンジと申します・・・お嬢さんの友人としてお付き合いさせて頂いてます。」

僕が静かに切り出すと、キョウコさんは、付き添いの看護士に席を外すように頼んだ。

「どうぞ、こちらへ・・・」

「恐れ入ります。」

キョウコさんは、僕に椅子を勧め、僕は彼女の正面に腰掛けた。

「話は妹からも娘からも聞いています。 この度は娘が大変お世話になって、何とお礼申し上げてよいかわかりません。」

深々と頭を下げるキョウコさんに、僕は慌てて声を掛けた。

「そ、そんなことはありません。 どうか頭をお上げになってください。 今日は僕・・・いえ、私の方こそご迷惑をお掛けしたので、そのお詫びに参ったんです。」

僕は椅子から降り、キョウコさんに両手をついて頭を下げた。

「この度は、私の不注意で、あなたに大変ご心配とご迷惑をお掛けしました。本当に申し訳ありません。」

僕はTVでレポーターや記者に囲まれるキョウコさんの姿を思い出していた。

「お嬢さんの入院も、あのマスコミ報道も・・・全部私の責任です。経営者としてきちんと対応していれば、あのような事にはならなかったんです・・・本来ならお詫びして済むことではありませんが、今はこうさせて頂くより他に思いつかなかったんです。 申し訳ありません・・・」

僕が至らぬばかりに、アスカは入院する羽目になり、あのような乱暴者の無神経な取材を強要されてしまった。

自分の無力さを思い知らされ、僕にはもう詫びるより他に何も浮かばなかった。

「シンジさん、手を上げてください。 私は迷惑だなんて少しも思っていません。」

キョウコさんの透き通るような声が、僕の頭の上から降り注いだ。

「どうぞお掛けになって・・・それではお話が出来ないわ・・・」

キョウコさんに促され、僕は再び椅子に腰掛けた。

「アスカのことでは、私はシンジさんにお礼を申し上げたい気持ちで、いっぱいなのです。」

キョウコさんの言っている意味が判らず、僕は返答に窮した。

「娘は、あなたと知り合ってから、凄く変わりました。 今までのような刺々しい感じが消え、他人を思い遣る気遣いが出来るようになったんです。」

彼女の言葉が、僕には信じられなかった。 だって僕はそんなに素晴らしい人間じゃない・・・

臆病で弱虫で矮小な人間なんだ。 それは自分自身が一番判っている。

「何時だったかしら・・・アスカが嬉しそうに私のところへやって来たんです。 
妙にニコニコしてるので私が『何かあったの?』って聞いたら、あの娘はこう言ったんです。 
『世の中には、まだまだ優しい人がいるのね』って・・・『たかがお弁当代なのに、ちゃんと覚えていてくれて、おつりまで返してくれた美味しいお弁当を売ってる人が居る』って、それはもう大喜びでした。 あれからかしら、アスカから角が取れ始めたのは・・・」

僕の中であの時の出来事が甦えっていた。

 

《Aランチ400円に、Bランチ450円・・・これはおつりです。》

彼女の手に、つり銭を握らせて僕はBランチを彼女に手渡した。

《・・・お人好しね・・・あんた・・・》

憎まれ口を叩く彼女だったけど、顔には今まで見たことがない笑顔が浮かんでいた。

その笑顔はとても綺麗で、僕は息を飲んだ。

 

キョウコさんは穏やかな笑顔で話を続けた。

「あの娘は、あなたに色々無理難題を言って居ませんでしたか? きっとあなたの事をもっと知りたかったんだと思います。」 

言われてみれば確かに思い当たる節は幾らでもある。 

「あなたを通じて、男の人の優しさを知りたいと思ったのです。 幼き頃に失った父親の愛情を得ようとしていたのです。」

「えっ・・・!?」

僕は言葉を失った。 何て言えばいいか・・・その時の僕には判らなかった。

戸惑う僕にキョウコさんは、静かに・・・そしてはっきりと言葉を掛けた。

「あれから、あの娘は素直に自分の感情を表現するようになりました。 あの娘は聞き分けのいい子で何も言いませんが、絶対に泣かない子になっていたんです。
私を困らせないように・・・でも父親を早くに失ったことはやはり寂しかったのでしょう・・・男の人に父親の姿をオーバーラップさせていたのです。 
彼女にとって、理想の男性は本気で自分と向き合ってくれる父親そのものだったんです。」

認めたくない事実が、キョウコさんの口からはっきりと告げられた。

アスカは僕を通じて、亡くなったお父さんの後姿を追いかけていたとでも言うのか・・・?

「でも・・・僕は・・・」

僕の口から思わず話し言葉が漏れ出し、その後は言葉にならなかった。 

アスカは僕が好きだと言ってくれた・・・でも、それは僕に死に別れた父親像を投影させた結果なのだという事を、キョウコさんは僕に告げていたのだった。

「シンジさん・・・ごめんなさい! 私の言い方が悪かったわ!」

僕の姿を見てキョウコさんは大きく首を左右に振った。

「決してアスカを誤解しないで下さい・・・確かにあなたはあの娘の父親じゃない・・・ただ、あの娘は心からあなたの優しさを求めていたのです。それは紛れもない事実なのです。」

キョウコさんが、僕の手を握り締めながら声を震わせていた。 その言葉は、母親ならではのものだった。

その言葉を聞いて、僕も自分自身に問い掛けていた。

果たして、僕自身はアスカに何を求めているのだろう・・・? 

安らぎ・・・強さ・・・優しさ・・・?

考えを進めてみると、僕もアスカを通じて理想の女性像を見ていたのかもしれない・・・恋人を持ったことがないから、僕はアスカに自分の抱く理想の女性像を投影していた。

実際に居るはずもない理想像を、今の自分に最も身近な女性に映していた・・・その対象となったのが、アスカなんだということに・・・

アスカは絶対に悪くない。 アスカが悪いのだとしたら、僕はもっと性悪な人間だ。

少なくとも僕には父さんも母さんも居て、経済的に不自由な思いをしたことはないのだから・・・

「それでも・・・」

僕は言いかけて言葉が詰まった。 喉が緊張のため乾ききっていたんだ・・・

我ながらみっともないと思いながら、キョウコさんの淹れてくれたお茶を飲んで、僕は小さく咳払いをした。

気分を落ち着かせ、自分の気持ちを伝えたい。 そう思った。

「それでも僕は、アスカさんが好きです・・・今回のことで、ご迷惑とご心配を掛けてしまいましたが、だからこそ僕は、改めて彼女が大切なんだと思い知りました・・・これからも、お嬢さんとの交際をお許し頂けないでしょうか? お願いします。」

「うふ・・・あはははっ・・・」

僕の言葉に、キョウコさんは声を漏らして笑い出した。

「あ・・・あの・・・?」

僕は真剣に話をした筈だ・・・笑われるような事は言っていないのに・・・?

「ご、ごめんなさい・・・シンジさん・・・なんだか結婚の許可を貰ってるみたいで・・・それが可笑しくて・・・こんなに笑ったの久しぶりだわ・・・」

「なっ・・・!?」

僕はとんでもないことを口走っていたのか・・・!? 

みるみる自分の顔が熱くなっていく・・・冷静になったつもりで、僕はしっかり舞い上がっていたらしい・・・

「す・・・すみません・・・」

恥じ入る僕の前で、キョウコさんはひとしきり笑うと、嬉しそうに頭を下げた。

「ありがとう・・・シンジさん。 あの娘をそこまで想ってくれて・・・これからもアスカをよろしくお願いします。 あの娘は一人で生きていけるほど強くはありません。けれど、寂しさを紛らわそうと安易な恋に走るほど弱くもないんです。 だから強がって生きてきたのです・・・どうかあの娘の力になってあげてください。」

頭を下げるキョウコさんに、僕は一言「はい。」と答えた。

精一杯の笑顔と力強い返事で・・・

 

 

 

丁重に見送ってくれたキョウコさんに深く感謝して、『セフィロト』を出た僕は、その足で今度はミカさんの居る喫茶店に向かった。

アスカとの約束を守って僕は、ミカさんの店へとやって来た。

一晩掛けて仕上げた力作を、アスカに一刻も早く渡したかったから・・・彼女の喜ぶ顔が見たかったから・・・

そして今日はクリスマス・イヴ・・・僕は彼女にプレゼントを用意していた。 

4日は彼女の22歳の誕生日だったけど、この入院騒動で、僕は彼女に何も渡していなかった。 

その埋め合わせという訳ではないのだけれど、とにかく彼女の喜ぶ顔が見たい・・・それだけだった。

「こんにちは、ミカさん! アスカ来てますか?」

ドアを開いて、僕は陽気にミカさんに尋ねた。

しかし、出迎えたミカさんの表情は、まさに意外そうなものだった。

「あら? シンジ君の所に行ってないの?」

「へっ?」

僕は間抜けな返事をしてしまった。 だって僕はアスカに会いに来たから此処に居るのに、逆に尋ねられるとは思ってもみなかった。

「アスカちゃんったら、何処行っちゃったのかしら・・・?」

「来てないんですか?」

僕は少し心配になってきた。 

「ええ・・・ここ数日、ぱったりと・・・でも今日はクリスマス・イヴだから、てっきり、シンジ君の所へ転がり込んでいるのかと思ってたのに・・・」

ミカさんも、沸かしていたコンロの火を止め、タオルで手を拭いながら電話器を取り上げた。

手早くアスカの携帯電話の番号を押して呼び出してみる・・・しかし、留守番電話センターに転送されるだけで、スイッチを切っているようだった。

「シンジ君・・・最後にあの娘に合ったのは、いつ?」

「この間、一緒に店に来て以来です・・・これから缶詰になるって・・・」

その時、ミカさんの表情から余裕の笑みが消えた。 その表情から、僕もまた胸騒ぎがしてきた。

「私、ちょっとアパートを見てくるから、シンジ君・・・此処で待ってて頂戴。」

「いえ、僕も行きます! 連れて行ってください!」

まさか、何か事件に巻き込まれたのか・・・?

僕の中で様々な考えが浮かんでは消える。 こうなってしまうと、僕の悪い癖がどうしても働いてしまう・・・

「判ったわ・・・店を直ぐ閉めるから、待ってて!」

ミカさんは、慌てて戸締まりをすると、僕を連れて走り出した。 店からアスカの住むアパートまで歩いて10分程度の距離にある。

そこは、古い木造のアパートが何棟か並んでいて、中には取り壊しも始まっている棟もあった。

ミカさんは、そのアパート群の一番奥の棟に駆け込むと、階段を駆け上がって2階の角部屋のドアを叩いた。

「アスカちゃん! 居る!?」

ミカさんが声を掛けるが、中から返事はない。 ドアノブをガチャガチャと回すけれど、鍵が掛かっているようで、開く様子はない。

ミカさんは軽く舌打ちすると、ポケットから合い鍵を取り出して中を覗いた。

 

「・・・・・!!・・・・・」

 

僕は思わず息を飲んだ・・・

部屋の中には、乱暴に引き裂かれたデッサンや木っ端微塵になった電話機の残骸が散乱し、『スカーレット・オフィス』と描かれたプレートが叩き割られていた。

「アスカ・・・」

僕は、思わずアパートを飛び出した。

「シンジ君!」

「心当たりのある場所を探します! ミカさんは店に戻っててください!」

僕は、又しても自分の力のなさを感じていた。 仕事関係の物が悉く壊されていた・・・それは間違いなく、アスカが仕事を干されたと言うことだ。

あれだけ夢を抱いて頑張っているのに・・・今回の事件はアスカに落ち度は全然ないのに・・・

僕は、やりきれない思いでいっぱいだった。 アスカと別れたのは3日前の午後のこと・・・僕は今日アスカにデータディスクを渡す約束をしていた。

ミカさんの店には現れていない・・・だとすれば・・・図書館か!?

僕は、通りを流していたタクシーを呼び止め、第三新東京大学へと向かった。

タクシーの中でも、僕の思考は停止することは無かった。 もし、アスカが自暴自棄になっていたとしたら・・・

その時、僕の中では最悪の事態を思い描き、僕は慌てて首を振った。

『そんな事はあり得ない! アスカはそんなに弱い人じゃない! どうしてもっとアスカを信じてあげられない!?』

僕の中の僕が、激しい口調でなじり詰め寄った。

今アスカは何処で何をしてるのか・・・僕には気掛かりでならなかった。

やがて、タクシーは大学の正門前に到着し、僕は料金を支払って飛び出した。

欅並木を抜け、図書館棟への長い回廊を全速力で走って、僕はアスカの姿を探し求めた。

リハビリを終えたばかりの右足が、負荷に耐えかね、情けないほどに悲鳴をあげているような気がした。

それでも構わずに走り続けると、前方から見慣れた女性が歩いてきた。

「あっ! 碇君。」

ヒカリちゃんだった・・・彼女も論文の提出を終えた帰りらしく、心なしかホッとしているような様子で、僕に声を掛けてきた。

彼女なら、アスカを知っているかもしれない・・・

僕は、足を止めてヒカリちゃんに話しかけた。

「ヒカリちゃん! アスカを見なかった?」

「アスカ・・・? アスカって・・・惣流さんのこと?」

ヒカリちゃんは、キョトンとして僕に答えた。 

彼女は論文に係り切りになって、どうやらあの事件の事は良く知らないらしい。

僕はてっきり、もうあの事件はヒカリちゃんやゼミの女の子達に知れ渡っているものと思い込んでいた。

「うん! 探してるんだ!」

「えーっ、何よ、何時の間に名前で呼ぶような関係になったの?」

驚いたように目を丸くする彼女だったけど、今は詳しい事情を話している暇はない。

「今、説明してる時間はないんだ・・・見なかった?」

「うん・・・今日はずっと図書館にいたけど、来てないわ。」

ヒカリちゃんは小さく首を左右に振った。

「先々週のゼミの発表の時に、聞いた彼女のテーマは凄く興味深くて、その続きが気になってたのに・・・どうしちゃったんだろうね・・・」

その言葉に僕の心は高鳴った。 ヒカリちゃんが、アスカを評価している・・・

ゼミ仲間の彼女が、正当にアスカの論文を評価しているのだ。

仕事が上手く行かなくても、誰かが必ず見てくれている・・・その事をアスカに伝えなきゃ!

「もし、姿を見かけたら連絡して!」

僕はヒカリちゃんに頼んで、学校を後にした。

校門から、駅前までの通りは、キャンパス内に植えられた欅並木がそのまま延び、街路樹となっていた。

それらの木々はクリスマスの電飾に彩られ、夕闇迫る街並みの中で煌めきを放つ。

僕は、その通りを走り回った・・・アスカの姿を求めて・・・

行き交う人々は、もう間近に迫るクリスマスの雰囲気に心を和ませ、それぞれの方法でこのクリスマスを楽しんでいた。

そんな人の波を掻き分けて、僕は前へと進んだ。 こんな時期だからこそ、失意に沈んだ彼女には、この街は居たたまれない場所だと思った。

だとすれば・・・一人になれる場所を探してる筈・・・ 僕は勝手に判断し、高台の公園へと向かっていた。

「・・・いない・・・」

すっかり陽が沈み、漆黒の闇の中に第三新東京市が温かそうな煌めきを放ち始めた頃、僕は、人気のない公園に佇んでいた。

僕には彼女が何処へ行ってしまったのか、全然見当がつかなかった。

やっぱり無理な話なのか・・・? この大きな街で、人一人見つけだすのは・・・ そんな思いが僕の心を支配していた。

頬に、冷たい感触が感じられ、それが僕の火照った顔や鼻、両手に当たっては消えていく。

「・・・・!?・・・・」

夜空を見上げてみる・・・それは遙かなる天空より降りしきる雪だった。

まるで数多の白い冬の妖精が地表に舞い降りるが如く、地上界に白いベールを掛け始めていた。

「この冬の夜に・・・君は何処へ行ってしまったんだ・・・」

得られない答えを出題者に求めるように、僕は漆黒の闇に向かって言葉を投げかけた。

 

 

僕が求めた答え・・・

それが得られたのは、それから2時間半後の事だった・・・

 

 

TO BE CONTINUED

Produced on Dec.10th '01